2006年03月07日

# 116 BONNET [静岡・熱海]



 此処は熱海銀座――通りからぷいと脇道に入ると、逆光を浴びた佇まいが何とも神々しく見えたものだ。マスターは東京生まれの東京育ち。進駐軍で働いていた。東京銀座の服部時計店(いまの和光ビル)が接収されて進駐軍のPX(Post Exchange, 購買部)になっていた頃、そこでハンバーガーと出会う。

 '52年、23歳のときに熱海の銀座にボンネットを開店。店名は壊れかけたワーゲンの……ではなく、帽子から。ハンバーガーを始めたのは55年とか6年とか、とにかく開店と同時では無いような口ぶりだった。当時は進駐軍が流行も、娯楽も、食べ物も、音楽も――あらゆるものの発信源だった時代である。その発信源のど真ん中に身を置いていたわけだから、それこそありとあらゆるものが強烈に魅力的で、刺激的で、多感な若者は乾いたスポンジのようにみるみるとそれらを吸収していったに違いない。

 どうして熱海で店を始めたのかは聴かなかったが、東京から来た若者が始めたジャズの流れるハイカラな喫茶店は、一目もニ目も置かれる存在だった筈である。熱海ゆかりの文人・著名人らもよく訪れたというから、時代の最先端をゆく彼らのウルサイ好みをも、きっと十二分に満足させていたことだろう。

 新宿辺りにある古い喫茶店を想像してもらったらよい。奥に長い店内――黒い床の上に、かつてクリーム色の背に赤色のクッションだった合皮張りの椅子が四席ずつ、ずっと奥まで並んでいる。白い壁には(多分)バロック風・華美なデザインのブラケットランプが等間隔に。このインテリアの規則的な連続が、奥に長い店の形を巧く活かした空間演出を成している。

 奥の壁はもちろん鏡。黒い階段を上った2階の暗がりから聴こえるBGMは、粋で素敵なムードミュージック。ちょうど腕の高さに壁から張り出す肘掛の、裏側から零れる蛍光灯の間接照明、そして店の中央に並ぶショーケースの明かりが印象的。

 ハンバーガーセット、ハンバーガー&コーヒーで¥700。単品¥500。底を二重にしたバスケットに紙を敷いて。手のひらサイズの小ぶりなバーガー。バンズてっぺんにピクルス、付け合せはフレンチフライ。裏マスタード、そしてソース(「コメダ」以来)、パティ、下バンにバター。レタス1枚と生のオニオンが外に。

 バンズは縁のコゲがサクサクと気持ちよく、辛い生オニのシャクシャクと相俟って、クセになる歯応え

 オニオンの辛味に次いでやや甘目のソース味が効いており、更にはそれらの味をサイフォンで入れたコーヒーの軽やかな酸味が中和するかのようにサラリとまとめ上げる。パティはハンバーグだが粘らずサッパリとしていて、ソースを用いたバーガーとして実に実に完成されている。まとまりある味覚に歯切れの良い食感。すごくしっかり・はっきりとしたエッジと主張を持った、表明するバーガー

 さてこの印象深い白いオニオン――日比谷三信ビルの「NEW WORLD SERVICE」もコノ味だった。意志を以って乾燥させないと、こういう風にはならないだろう。ワザと乾燥させて、以前書いた通りの「タテヨコの比がぴったりと合ったサイの目の食感」を出している。

 銀座のPXと日比谷のNWS――どちらもGHQ体制下の中心部に位置していたわけだから、PXでハンバーガーに出会ったボンネットのマスターとNWSは、あるいは同じモノを見たのかも知れない。つまり当時あったハンバーガーはほぼこんな姿だったのである……という仮説。

 さらにはこのバーガーのサイズ……六本木の「ハンバーガーイン」も横須賀の「ハニービー」も、仙台の「ほそや」も、佐世保の「ブルースカイ」も、どこもおよそこんな大きさだったことを、私は単なる偶然だとは思えないのである。

 偶然でないのなら、ではつまり進駐軍のハンバーガーは小ぶりだったのか――。あるいはコレが当時の日本人のスケール感だった――という考え方もという考え方もできようか。2006年の今、バーガーショップ/ダイナー各店が競って作るアメリカンサイズのバーガーとは大きく違う、このサイズ感――実は何かスゴイ曰くや背景が隠されているかも知れない……なんて、こんなことを書くうちに、もう一度店を訪ねてマスターからもっといろいろと当時の話を聴いてみたくなってきた。近くもう一度行くかも知れない。次回は三島由紀夫でもきっちり一冊読んでからにしますかな。

§ §

 いずれにせよ日比谷熱海、思いもかけない場所と場所から、思いもかけない歴史が垣間見えて、何か私の中では輪が繋がったような思いがするのである。……にしてもだ。こんな落ち着いた喫茶店で華麗なるストリングスサウンドなど聴いていると、身も心も洗われたようになって……本当に気持ちイイったらありゃしない! 要らぬ肩の力が抜けて、重心がスウーッ……と下がってゆくような、そんな感じを覚えるのである。壁に架かる黒いパネルに描かれたハンバーガーのイラストは一個当千

# BONNET [静岡・熱海] のチーズバーガー

2006.3.7 Y.M

posted by ハンバーガーストリート at 22:11 | TrackBack(1) | 東国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月29日

# 098 Uncle Sum [神奈川・相武台前]




 しまった……! 100店目前の秒読み体勢に入り、残り3店はココとココとココ……と、全部決めていたのである。ところが……

 配達記録付きの郵便物を管轄の座間郵便局まで取りに行くことになり、無事その用を遂げた後、さてもうちょっと足を延ばして小田急電鉄相武台前駅でも撮りに行きますか……と純粋に「駅写」的興味から、未だ降りたことのない駅へと自転車を走らせた。まだ昼食をとっていなかったし、折からの小雨が少し強くなってきたところでもあったので、撮影を終えたらファミレスでもどこでも目に付いた店に入ってゆっくり休もうと思っていた。やがて目的地・相武台の駅前と思われる街に入った。と……、目に飛び込んで来たオレンジ色の看板には「Sasebo Burgers」とある……ん? サセボ? ……えっ、佐世保!? 残り3店の綿密なる計画のことが一瞬頭を過ぎったが、しかし相武台前なんて滅多に行く場所では無い。店を目の前に引き返す手も無い。これを機に行っておかねば二度手間……と計画の変更を決定、昼食はココで。

 西口駅前、降りてすぐ。変わった造りで、建物1階・長方形の店舗面積の一角にタバコ屋があって、その部分だけお店の面積としてはしっかり欠けている。つい最近までハンコ屋さんだったところで、店を閉めた後すぐの今年9月初旬にオープン。なかなかに狭く、席数は14ほど。カウンターの前に立つと内部をすべて見渡せてしまうキッチンは最近オープンした割に新しくないので、きっと中古で買い揃えたのだろう。体を入れ替えてどうにか作業できるほどの細ーくて狭ーいキッチンで、かつホールとの間に壁も仕切りも何も無いので、これではスタッフは逃げも隠れも出来ないわなぁ。ちょとカワイソ……。壁の所々にサインボードなど貼ってあるが、全体としては殺風景。逆にこの狭さといい、安い造りといい、かつタバコ屋の存在も手伝って駄菓子屋テイストでイイ感じ。小学生の女の子3人が宿題している姿がまさにぴったりハマる、これこそが佐世保テイスト

 ベーコンエッグバーガー¥360に+50円でチーズ紙に包まれて登場。なので開けるとベチャ〜っとケチャップやらマヨネーズやらが内側に付いていて、いかにも佐世保的コノ熱さとゴチャマンとした感じも佐世保的表面何もないバンズ、裏マスタード、レタス、エッグ、マヨネーズ、オニオン、トマト、ベーコン、チーズ、ケチャップ、パティ、下バンズ。黒胡椒がかかる。伊藤パンのバンズはふんにゃりと柔らか過ぎて芯がない。ちょっと力入れて持てばそのまま千切れてしまいそうなバンズだ。パティの持つ塩味が余計なのか、佐世保バーガーという意味では甘味に欠ける。パティは中が薄赤く良い焼き加減だが、しかし表面のコリコリしたコゲの感じは……やっぱりハンバーグだなぁ。本場に比べ、全体にも一つ締まりが無い……かな? でもこの価格設定と駄菓子屋的店の雰囲気に免じて(?)良しとしますか。「『らりるれろ』系の手作りバーガーです」とあるのだが、それは中野の「ZATS BURGER CAFE」が佐世保の「LOG KIT」から指導と材料の提供を受けている――というのと、同じような関係にあるということなのだろうか。その辺訊いてみたかったのだが、割りと絶え間なく客が来るものだから、結局チャンスを得られなかった。確かに「らりるれろ」もこんな方向性ではあったかな? ちなみに「アンクルサム」という店……そう言えば佐世保の街を歩いていて確かに前を通りがかった"ような"気がする。が、佐世保の方は居酒屋、相武台のコノ店との関係は不明。"見せ方"にしろ"名乗り方"にしろ、端々に何かこう、もう一つずつ思慮の足りないようなところが見え隠れするのは大変気になる("系"はどうかな)。しかしまぁ「始めて2ヶ月」と言えばそろそろ問題が浮き彫りになってくる頃でしょうから、その辺の見直しも含めて今後に期待いたしますか!

§ §

 さて店から300mも行けば、そこは外国=キャンプ座間なのである。確かに駅前には米国人の姿が少なくない。駅からベースまでの途中にある店ということで、米兵とそのファミリーたちを意識している部分もきっとあるだろう。と言うかコノ立地、それ以外の理由は考えられないあるいは「基地編」に加えても良かったのだが、しかし「基地編」は米軍からハンバーガーの作り方を教わった跡や、米国文化が周辺地域へ及ぼした影響の様子などを窺う企画であって、キャンプ座間の入口に佐世保バーガーを輸入してきたような状況ではコノ場合、むしろ話は逆である。また佐世保の○○の支店――ということなら当然「佐世保編」も考えたが、どちらでもなかったので結局「地方編」と。


2005.10.29 Y.M

posted by ハンバーガーストリート at 01:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 東国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月21日

# 089 J.J.MONKS [七里ヶ浜]



 9月に入ってもまだ収まりのつかぬこの夏の陽気・この陽射しの中、誘われるように南下、心は湘南の海へ――。タイムリーな話題としては江ノ電300形が本年9月を限りに引退……ではなく、304&354号車のみ74年間のお勤めを終えてラストラン。海上には白い帆影が無数、サーファー達もまだまだ夏モード!


続きを読む
posted by ハンバーガーストリート at 21:06| Comment(0) | TrackBack(0) | 東国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年12月11日

# 025 ほそや [仙台]



 初! 仙台! 祝! 楽天? ――仙台だけに牛タンバーガーなど期待される向きもあろうが左にあらず。市営地下鉄匂当台公園駅下車。三越のある一番町通りを一本入ると、そこはディープな歓楽街=国分町。東京で言えば新宿のような雑然とした街の一隅に五十年営む喫茶が今回の目的地。

 なにせ前フリがすごい――「1950年創業」「日本で最初のハンバーガー」「100万個達成!」(どうもホントらしい)……「ハンバーガーとステーキの」と聞いていたので、カウンター席しかない古めかしい店構えは大いに意外だった。どう考えても肉料理が出て来る店とは思えない。しかしカウンターの上には肉の冷蔵されたショーケースが煌々と誇らしげに輝いている。マスターはゴルフが趣味。来客もシニアゴルフの仲間かその妻か、はたまた商店街の顔なじみか――店も人も程好く古い。

 まずハンバーガー¥280とコーヒーを注文。ハンバーガーはマスターが、コーヒーは女性(続柄は??)が入れてくれた。このコーヒーが美味しい! 深みのある苦さ、そしてさっぱりとした後口――むしろコーヒー"が"美味しかった。女性から注文が飛ぶと老マスターの手元でジューッと音がし始め、ほどなくカウンターの向こうからハンバーガーが。手渡された瞬間、バーガーの乗る皿が温かい辺りが行き届いた心配り。

 やわらかな甘さのバンズ。中身はオニオンスライスにパティのみ。あとはケチャップ&マスタード――で以上。実に実にシンプルな構成。辛〜いオニオンと苦〜いマスタード、ケチャップはいわゆる市販のアノ味(いや、少しアレンジしてるかな……)。パティも、そのケチャップのわかりやすい赤色の下に染まれば普段家庭で食べ慣れた、お母さんのつくるハンバーグのよう。でもこのノド越しの良さは肉が良い証拠だろう。和牛100%

 次にチーズバーガー¥320。オニオンが消え、チーズとレタスとマヨが加わる。チーズもこれまたわかりやす〜いチーズで、むしろヘタに手の込んだチーズより主張がはっきりしていてよろしいかも。分厚いことこの上なし。

 強〜いケチャップ&マスタードの味でいただくハンバーガーは、系統としてはマック寄り。味がベターッと平面的。せっかくの焼きたてパティのお味がケチャップにかき消されてしまっているのは残念だが、創業54年のズシリと重みある店の空気にどっぷりと身を浸しつつ、マスターと常連たちの半世紀にまたがるトークを傍に聞きながら味わう老バーガーもたまには悪くない。BGM……なし。代わりに常連たちの会話と総合テレビ午後4時台のバラエティ。

 ※そうそう、去年12月、再び仙台を訪ねた折、とある飲食店の店員さんとちょっと話し込んでたら「ほそやさんはフルキャストスタジアム(楽天ゴールデンイーグルスのホームスタジアム)にもお店出したんですよ」なんて教えてくれた。未確認情報ながら一応追記(2006.1.23)

2004.12.11 Y.M

posted by ハンバーガーストリート at 17:52| Comment(2) | TrackBack(0) | 東国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする