2010年06月22日

# 234 good mellows [鎌倉・長谷]



 以下、初めてこの店を訪ねたときの話である――。

●Loco's

 相模国鎌倉、大仏で有名な長谷で江ノ電を降りて、大仏は見ずに、海へ――。国道の向こうに冬の白い海。そのまま由比ヶ浜海水浴場には降りずに、国道134号線を江ノ島方面へ――。弧を描く海岸線に沿って道なり、5分も歩けば水色の看板を掲げたこの店に行き当たる。

 海に向いたオーシャンビューのハンバーガーショップ。以前はLoco's(ロコス)というシーフードレストランだった場所である。真っ青だった外壁は、今はコゲ茶に塗り替えられている。

 テーブル14席、カウンター7、テラス7。建物1棟まる借り。2階はイベントなどの多目的スペース。行く行くはココにも席を並べたい。屋上(3階)は視界遮るもの無し、由比ヶ浜で開かれる花火大会の際には特等席に。今年の鎌倉花火大会は7月21日開催――。


 「この辺に住んでいる人の家の雰囲気」に近いという店内。白く塗り替えた壁に南国の野鳥の画、帆船模型、サーフボード――磯の香りがふんぷんと感じられる。

 母屋の後ろに張り出すように造られたトイレや、キッチンの隣に拡張されたチャコールグリルなどの設え(しつらえ)にも海辺らしい豪快さが感じられる。乗り古したスケボーをリフォームしたオブジェ、トイレへの狭い通路に懸かる壁画が秀逸。

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2009年10月14日

# 215 Cherry Beans [静岡]



 静岡では「チェリビ」の愛称で知られる超老舗カフェの、あっつ〜〜い店長の話。

●創業1982年

 通称「センター(新静岡センター)」という静岡鉄道新静岡駅の駅ビル真横にあるこの老舗。

 人通りの絶えぬ好立地だったが、今年2月にそのセンターの改築工事が始まり、ビルは解体。駅の入り口が移動したため、人の流れが一本向こうにズレてしまった。「かえってそっちの方が好きだ」と半端なく熱い店長、八田さん。お隣のバー「グッドオールドテーブル」のオーナーと共に、客足が遠のく現状を「センターが潰れたせいにしてる、この辺の街の雰囲気がイヤだ」とむしろそっちを嘆かわしく思っている……熱いゾ、二人とも。


 1966年(昭和41年)オープンのセンターには敵わぬが、チェリビだって1982年、昭和57年が生まれ年である。3年前に創業者が引退(?)し、現オーナーは2代目。場所も店名もそのままに、伝統ある店を引き継いだ。

 そんな歴史を聞いて、スポーツ新聞広げたお父さん達がタバコ吹かしてる「喫茶店」を想像したら、大きな間違い。

 入ってすぐ、ボトルビールがずらっと並ぶ冷蔵ケースにまず目が奪われる。GROW STOCK(グローストック)というビアバーを姉妹店に持つが故の豊富な品揃えで、世界のビールが40種……ね? 侮れなくなってきたでしょ?


 L字型の店内は奥に深く、テーブル16席(詰めれば32)、ソファ16、あとキッチンに向いた半円のカウンター6。床から天井から茶系でまとめられており、カフェ&バーの名にふさわしい落ち着いた雰囲気である。BGMにストーンズの「悲しみのアンジー」など。こんな店がまさか女の子の溜まり場とは……。

●チェリビと言えばポテト

 なにしろポテトで有名な店である。ハンバーガーよりポテト。

 その正体は各種シーズニングをかけて味付けたフレンチフライ。ファーストキッチンがフレーバーポテトを始めた1996年よりはるか以前から、ココ静岡では塩味以外のフライドポテトが長らく食されていたワケである。味は現在5種類。


 ちなみにファーストキッチンは「ポテトパラダイス」なる専門店を2006年に始めたが、今はどうなってんのかな? ウィキペディアには「2009年1月現在わずか2店舗のみ」とあるが、その2店の調べがつかない。静岡とファーストキッチンにはこんな話もあったり。

 実はハンバーガーも開店当初からあったのである。しかしポテトばかりに人気が集中、ポテト目当てのお客さんがいまだに多数を占めている。30〜40代を中心に下は高校生まで、女性の率が圧倒的。歴史ある店なので親子2代のお客さんもいる。「もっとハンバーガーを出していきたいんだけど、ポテト目当てでしか来てくれない」、コレが半端なく熱い八田店長の、目下の嘆きの「壁」である。ポテトとハンバーガーを2枚看板に――八田店長の熱き挑戦が始まった。

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2009年10月06日

# 214 R-S [千葉・北小金]



 団地を訪ねたのは久しぶりである。

●小金原団地

 かつて団地には夢があった。「ウルトラマン」に登場する団地の姿は威風堂々、どこか誇らしげである。時代の最先端行くライフスタイル――それが憧れの団地暮らしだった。


 そんな高度成長期の夢も、今では「昭和」という郷愁の中に片足を突っ込んだような存在である。時の流れの酷さよ――。なのでいまだ「現役」とは知りながら、それでも団地を訪ねると、逃れようもないほどのノスタルジイの洪水に襲われる。

 ときに「団地マニア」な人々というのが居るのである。イイコレもイイ! ココもイイ! けっこう熱いじゃないか、団地!


 さて日本住宅公団供給による小金原団地。実際にお住まいの方によるこんな素敵なページを見つけた。昭和39年(1964年)4月の着工、昭和44年(1969年)5月より入居開始。小金原(こがねはら)の地名は昭和43年(1986年)8月に公募して決めた……ほほぉ。建設当時の様子が知れるこんな貴重な写真群も発見……只今インフラ真っ最中!

●独立都市

 住所は松戸市だが柏市がすぐそこ。実際のところは松戸でも柏でもない「小金原」というひとつの独立した街であるという。最寄りの北小金駅・八柱駅からいずれもバス15分。陸の孤島は言い過ぎだが、よそ者が用事があって行く場所ではない。


 かつて憧れだった団地暮らしも40年の時を経て、建物・住人とも老朽化が進行……失礼。そんな老いし団地の商店街の外れに、(1)1個1,000円もするハンバーガーを出し、しかも(2)店内犬連れ可という、またとんでもなく時代の先ゆく店がオープンしたもんだから、さぁ〜大変! 中高年を主とする団地住人の「常識」からすれば、途方もなく「非常識」な店が現れたワケである。

 兄がハンバーガーショップ、妹がドッグサロンを営む、兄妹の店である。週1回お母さんも登場……「FELLOWS」みたい。

 最初から兄妹一緒にやるつもりで物件を探していた。その初期の段階で、東京・湯島にある蔦の絡まる写真スタジオ跡にぞっこん惚れ込み、建物一棟借りを検討。契約寸前まで行くも、土壇場で断念。その建物があまりに良過ぎたため、以後都内のどんな物件を見ても何とも思わなくなってしまった。こうなったら舞台は地元、千葉県へ――。

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2009年09月29日

# 213 California Diner JACKAL [静岡]



 「ジャッカル」とはオーナーのニックネームである。

●コードネームはジャッカル

 とある筋では彼はジャッカルで通っている。自身のニックネームを店の名にすることは、3年前から既に決まっていた。


 ジャッカル氏は生まれも育ちも静岡市内。居酒屋→メキシコ料理→ハワイ料理の順に店を渡り、経験を積んでいった。なのでコノ店の味のベースはメキシカンとハワイアンである。

 いつか自分の店をやりたいとずっと思っていた。「料理が好き」なのと「アメリカンカルチャーが好き」なのを結びつけると「ダイナーになる」という、極めてシンプルな答えを導き出すに至り、昭和通りと青葉通りの交差するこの角地のビル2階にダイナーを始めた。

 物件探しは2ヶ月と掛かっていない。当初、同ビル3階が空いていたのだが、「でも3階か……」と迷っていたところ、程なく2階も空くことになり、即決。2階は以前は服屋だった。

●ビッグ・ダディ

 三角形をした面白い店内である。配管の都合で、キッチンおよびカウンターがホールの高さよりガボッと2段上がっているのだが、むしろその高低差が空間に変化を与えている。


 店の外には青葉緑地(青葉シンボルロード)という市民憩いの緑道、遊歩道が通っており、その「空間」に向いて大きく窓がとられているため、さほど狭くは感じない。

 テーブルが14席、カウンター10席……と指折り数えていると、「24席が僕の中のベストだった」と横からジャッカル氏。24席以上だと2人でこなすには限界がある――と、この辺りの分析も長きにわたる業界経験に裏打ちされたものである。

 Rat Fink(ラットフィンク)をはじめ、店内随所に飾られる小物・雑貨の数々は、すべてジャッカル氏の自宅に在ったモノ(ネオン管は除く)。自室を「アメリカン」に仕立て、レイアウトからバランスから「予行演習」していたとのこと――実に入念である。

 そのRat Finkの作者であるエド・ロスばりのタッチでロゴやメニューをデザインしたのは、名古屋「ポークパイハット」のオーナー夫婦。

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2009年09月05日

# 211 たんばらラベンダーパーク [群馬・玉原高原]



●玉原高原

 と書いて「たんばらこうげん」と読む。都心からクルマで2時間、標高1300mの高地に位置するスキー場が今回の記事の舞台である。


 6〜8月のグリーンシーズン、たんばらスキーパークは「たんばらラベンダーパーク」と名を変えて、首都圏から訪れる観光客で大いに賑わう。

 その園内中腹に在るレストハウス向かいの屋台において、「たんばらバーガー」なるご当地バーガーの販売を今シーズンより始めたところ、コレが大変な人気を呼んでいるという。高原のラベンダー畑を背景にビッグなハンバーガー……マニア垂涎モノのそんな絵面の魅力に憑かれて、夏の高原へ急行した。

●どこかミステリアス


 関東最大5万株を誇るラベンダー畑が出来たのはスキー場オープンから6年目、平成7年のシーズンから。

 ラベンダーと聞いてまず浮かぶのは、はるか「富良野」の風景だろうか。しかしはるばる北海道まで行かずとも、東京都心から片道2時間余の日帰り旅行で丘一面のラベンダー畑に出会えてしまうという、まずそこに「ほぉ!」という「フック」が隠されている――けっこうみんな知らない。さらにラベンダーの原産地は北海道のような亜寒帯ではなく「地中海沿岸」だと知って、ますます初耳な私であった。

 ラベンダーという花に対するイメージがどこか「ミステリアス」であることが、これだけ多くの人がこの花に引き寄せられる理由だろう――と、これはレストラン課・勝野課長の説であるが、確かにこの花は常にどこか遠くに咲いているようであり、その存在は非日常的で、どこか謎めいている。但しこの日は「どこかミステリアス」と言うより「間違いなくミスティ」な一日であったのだが……。山の天気は変わりやすく、同日、下界・東京都心では焼け付くほどの炎天下だった。

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2009年02月10日

# 205 U2 burgers cafe [長野・松本]



 長野県第二の都市、松本。

●長野と松本

 「長野と松本の仲の悪さは有名」「ことあるごとに長野と松本は対立し」「何かにつけていがみ合っている」など、この2都市間の「穏やかならぬ」関係について触れる記事をいまだ多く見るのだけれど、しかしさすがに近年、特に若い世代の間にあっては、そうした意識はだいぶ薄らいできているようで、日常彼らの間でそこまで激しい議論・討論の類が繰り広げられることは、ほぼ無いようである――ま、たまたま私が出会ったのが温和な人物だっただけかも知れないが。


 ただし、松本で働く若者たちには「松本の方が良い街だ」という、我が街に対する自負があり、誇りがある。そうした「ごく穏やかな範囲」における地元贔屓や地元愛というものは、彼らの間にもしっかりと根付いている。片や長野の若者たちはどうだろう――やはりこういうことは両方から意見聞かないとネ。

 とは言え、駅前を見れば両都市の規模の違いは明白。県庁所在地かつ新幹線停車駅である長野の構えには流石にかなわぬが、しかし松本の場合、再開発成った中央一丁目周辺に活気があり、特にパルコは若者の支持厚く、休日のお出かけスポットとして、一帯の中核的役割を果たしているという。

●中町通り

 女鳥羽川(めとばがわ)、ガス灯で知られる千歳橋(せんさいばし)の手前、なまこ壁の土蔵が今なお残る中町通りに、コノ店はある。

 つい2、3ヶ月前まで、この場所はスナックだった(って、前の記事と一緒だな)。

 入ってスグが注文を受けるレジ、その奥にキッチンへと通じる出入り口が覗き、右手は待合いロビー風のソファとテーブル一組、その奥に壁に向いてカウンターが横並びに並んでいる。この見渡せる範囲がすべて……と思いきや、ドリンクのディスペンサーの後ろ、ガラス窓の向こうに広大なホールがドーンと控えていて、たじろいだ。まさに「大奥」……スイマセン。

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2008年09月20日

# 202 Sun'S [長野]


Fun & Function
Sun'S


 「とびきりスーパーなウイークエンド」で出会った、地元長野のお店のご紹介。

●シトロエン Hトラック

 オロナイン H軟膏じゃないですから、>そこのお母さん。


 移動販売の店である。仏シトロエン社、1979年式のHトラックを改造。車屋に探してもらったところ、フランスの片田舎でようやく発見、そのまま運んできてもらったという、つまりは「大きなお取り寄せ」である。さらに言うなら、現在日本国内ではHトラックは売りに出ていないということでもある。と言うか、そもそも国内には数えるほどしか存在しないのね、Hトラック。

 色は淡いベージュ。シトロエンのエンブレム「ダブルシェブロン」を中心に、ヘッドライトが左右に大きく飛び出た、厳つくも愛嬌のあるフロントマスク。


 後部の荷室に大きく取られたキッチンは、間接照明などを凝らしたポップなインテリアデザインで、「traveling kitchen」というコノ店のサブタイトルがまさにぴったりくる、ミッドなセンスに満ちている。実は床が白黒チェックなんだよねぇ……外からは見えませんが。

 リアとサイドと2方向窓が開くのも、文字通り"開放感"があり素敵。特に側面窓――ココに脚長のスツールを並べてスタンド風にしているHトラックの写真を見かけたが、いずれそんな使い方も出来たら、さらに素敵かと。

●Uターン

 オーナー井出さんは長野生まれの横浜育ち。3歳から横浜で過ごして、銀座、表参道、横浜、鎌倉のホテル、フレンチ、洋食店などで10年にわたり活躍。5年前、故郷長野に戻って来たのは長野の自然、空気、土、そしてそれらに抱かれ育まれる良質で新鮮な食材の数々に惹かれ、「素晴らしい恵を体感したかった」からである。


 お祭りの屋台で「冷めたピザ」ならぬ「冷めたタコ焼き」が出て来た時、とても残念な、がっかりした気持ちになり(そりゃそうだ)、それを契機にお客さんの目の前で出来立て・熱々を提供する、今の移動販売のスタイルを思いついた。スタッフ総勢3名、揃いの麻のハンチングを被る中、一人コックコートに身を包み、ジュージュー唸る灼熱の鉄板を前に奮闘。

 エルビス、エディ・コクラン、ジーン・ビンセントなどのロックンロール、ロカビリー、50'sが大好きな井出さん。アメリカを旅した時には「でかくて、シンプルで、インパクトのある」ハンバーガーに夢中になり、毎日食べていた。大手チェーンのモノよりも、小さな田舎の食堂のハンバーガーにより深い興味を覚えたという辺り、今のこのサンズのスタイルにどこか通じるものがあるかも知れない。

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2008年05月09日

# 197 YONOJI New American Food & Bar [札幌]


YONOJI
New American Food & Bar



 ご存知の通り、札幌は碁盤目状の計画都市なので、現在地および目的地の見当を付ける上では至極便利であるのだが、しかし旅人にとっては何とも移動が不便な街である。たぶんあらゆるものが道に沿って、長く長く伸びる傾向にあるからではないだろうか。




●お引越し


 かつては南六条西17丁目にあったコノ店、昨年12月に引越しを敢行し、南二条西7丁目へと移転して来た。中心地にグンと4条分近寄ったことになる――と、この辺の移動距離の把握も札幌では容易である。


 狸小路のほど近く。ちょうどこの7丁目アーケードのみ改築を逃れ(計画から外れ?)昔のままの姿を留めている。セリの終わった中央市場のような、ややガランとした空気。


 「M'sスペース」という建物の名前から、イベントホールのような外観を想像していたら、あにはからんや、東京なら新宿〜中央線沿線にでもありそうな、低層の老雑居ビルであった。


 聴くところによると、建物全体が「酒豪共和国」であるらしい(……共和制か)。しかもコノ店、狭い通路を入り込んだ2Fの「奥のまた奥」にある。この奥地一帯には文系サークル、さらに言えば演劇系のサークルが群れ集う学生会館のような、実にアングラなニオイが立ち込めている。




●黒い螺旋階段


 以前は美容室が入っていた――それも微妙に不自然。


 エクステリアは洋食屋的。入ると一瞬カフェ的、店奥には白いL字のカウンターがデンと鎮座し、バー的。横を向くと黒い階段が螺旋を描いて上昇しており、2階(地上3階)が存在する。ココはベンチにクッションなど並べて、屋根裏的(?)。入り口の佇まいからは想像もつかぬ、40席を誇る大所帯――最初の店が14席だったので、一挙に3倍増ということになる。


 カウンターはじめ、酒瓶の収まるキャビネットに椅子や机――これらインテリアの大部分はオーナー夫人"JUMBO-M"が女手一つ、ほぼ独りで組み立てた。メニューやフリーペーパーも自作……ってコレがまた凝りまくってるワケですよ。まさにカフェ道の「鑑」のような人である。


 ちなみにこの日、黒ラブのカツヲはお休み。螺旋階段下の定位置は空席だった。



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2008年04月28日

# 196 KOZY'S BURGER [札幌]



話変ってココは北国、札幌。


●妖しのブログ


 福岡にホークスあり、アビスパあり。札幌にはファイターズあり、コンサドーレあり。そして福岡も新千歳も、ともに鉄道が直下まで乗り入れている空港であり――。


 さて、いとも面妖なるこの店のブログを発見したのは春3月。スポーツ紙の見出し的な(?)思わせぶりな記事作りを信条としているそうで、おかげで見てるコッチは視界5メートル、どんな店だか皆目見当が付かない――まぁそれこそが狙いではあるのだが。まだ雪残る春の札幌に、謎のベールに包まれた、何ともミステリアスなコノ店を恐る恐ると訪ねてみたのである。




●ディープ東区


 札幌駅から徒歩10分弱といったところ。東区にある。地図を眺めて、駅より続く繁華な飲み屋街の一角にでもあるのだろうと予測を立てていたのだが、札幌駅の周辺は意外とすぐに静まり返る。


 この辺り、40年前には国鉄関係の官舎が林立し、そのお膝元として大いに栄えた繁華街であったが、今では昔日の面影薄く、代わりにすぐ先にファイターズの練習場のあることから「ファイターズ通り」なる新たな名を授かって(旧称「ななめ通り」)、渋く盛り上がっている。


 立地のよくないこんな場所を、オーナーKOZYさんはあえて選んだ。「ディープ東区」「秘境」などと、愛を込めてそう呼んでいるらしい――案外と「奥深い」土地という。




●中興の祖


 業界一筋20余年。高校3年間は駅前通のロッテリアでバイトしていた。これがKOZY氏にとっての「バーガー原風景」だろう。大阪の某調理師学校を卒業後、10年近く関西で活躍する。




 最初京都のフレンチなどで調理の経験を重ねたが、当時流行りのギャルソン(ホール、給仕)を目指してみたくなり、大阪でホールワークに転身。さらに縁あって某ビールメーカー直営のビアレストランにマネージャーとして迎えられ、以後、寺町の市場小路など、マネージャー業が相次いだ。


 北海道に戻ってからも、すすき野界隈でマネージャーを歴任するが、8年前、ついに自身の最初の店を北二十四条に構えた。飲み屋である。


 しかし迂闊(うかつ)にも(?)、ついついお客さんと一緒になって遊んでしまい、売り上げをコトゴトク使い果たす。これ以上遊んだら……というギリッギリのところで、かつての上司からお呼びがかかり(まさに天の声)、再びすすき野戦線に復帰。以来、赤字店舗を建て直すことにかけては右に出るもの無き「建て直し屋」「中興の祖」として一名を馳せた。


 で、とりあえずひとしきり目覚しく働いたし……というところで構えた二度目の店が、この東区のバーガーBARなのである。



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2007年09月30日

# 188 66-Double Six- [千葉・柏]



 国道6号線と16号線のクロスポイント――だからダブルシックス


●バーガーの扉

 「ロッキーバーガー」からの続きなのである(そして前回「オートマンダイナー」からの続きでもある)。

 布佐の駅から再び常磐線直通に乗り込み、戻って柏へ――すると一緒に乗った人たち、みーんな柏で降りるんだよねぇ。柏で乗客総入れ替え――柏は人とモノとの集積地である。

 オーナー大嶋さんは成田の人。子供の頃から"何かあれば"柏へ出かけていた。私の住んでいる方で言えば、町田のような場所だろう。ちょうどのJRと、ブルーのラインの私鉄が乗り入れていることでもあり。

 生まれて初めてハンバーガーを食べたのも柏。「マクドナルドで扉が開いた」と、その初めての出会いを振り返るオーナーは、以来今日までハンバーガー好きの忠誠を一心に貫き続けてきた、忠義の人である。

 アメリカでも食べたけど、「やっぱり日本の方がおいしい」とは、大概みなさんそう仰いますネ――まぁ私たち日本人ですから。だからオーナーが深く影響を受けたのも、「ファイヤーハウス」や「ベーカーバウンス」といった、都内を代表する人気店からだった。



柏と言えば柏そごう

●裏カシ

 バス通りから一本入れば、細い小路が無秩序に延びては交わり、一層雑然とした賑わいに変わる。

 駅から徒歩5分の路地裏。オーナー曰く、駅周辺は近隣からのお出かけ組の買い物エリア。徒歩5〜10分圏が地元の人の利用するエリアだそうである。しかも柏は、お年寄りから若者まであらゆる世代が楽しめる街であり、かつそのスタイルは昔も今も変わっていないという。


 セントラルプラザのヨコを入ってゆくと、途中、柏でNo.1の人気を誇るカフェ「ハナオカフェ(HANAO CAFE)」。その先に66。さらに左に折れれば、柏No.2カフェ「コンセントカフェ(consent cafe)」がある。66は人気カフェ2店のちょうど中間に位置する。

 目抜き通りからは2本も3本も入り込んだ住宅混じりの路地裏ながら、しかし「何かありそうな雰囲気」をどことはなしに漂わす立地である。隣は何かありそうな古着屋。似たような店がもっと続けば、パワーはさらに増すだろう。

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2007年09月13日

# 186 ロッキーバーガー 利根店 [茨城・利根町]




●利根町

 茨城県北相馬郡利根町(とねまち)は、取手市の右隣、龍ヶ崎市の真下。茨城県の南端に位置し、'07年9月1日現在の人口18,160人。鉄道ならJR成田線布佐(ふさ)下車――町の玄関口である布佐駅は千葉県我孫子市にあるという……まぁ、よくある話ですか。

 常磐線快速の通勤車両(E231系)が我孫子駅で折れて、単線である成田線にぐぼーぉっと乗り入れて行くさまは、率直に言ってミョウである。沿線には新興住宅地が開けていて、布佐駅もまたベッドタウンの表玄関といった佇まい。前後の駅よりもひと際立派に建てられている――という以上が千葉県側の話。

 利根川を栄橋で渡ると茨城県である。栄橋の右方、布川(ふかわ)の町は、かつて利根川の水運で栄えた河岸(かし)である。江戸初期の水戸街道はこの辺りを通るコースをとったそうで、街並みにはかつての街道の佇まいが今なお残っている。さらに半里足らず北へ進むと、平らな地勢を活かして豊かな稲作地帯が広がっている。利根町は米どころだ。



 その稲田の真ん中を南北に突っ切る県道は千葉龍ヶ崎線と呼ばれ、これが現代の街道筋といったところ。交通量はなかなかに多い。さてそんな地元の主要県道線沿いに在るのが……見て下さいよ、コノ写真を! ロードサイドですよ! 隣は田んぼですよ!


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2007年05月24日

# 175 Burger Shop UNICO [栃木・那須]


Ingot Gallery NASU
Burger Shop UNICO


●発端

 野州那須町――東京から新幹線で1時間15分、クルマで2時間。歴史ある別荘地は今や都心への通勤圏であり、また週末を過ごすセカンドハウスとして、近年にわかに注目を集めている。

 そんな目下注目の那須に、昨夏'06年7月、那須高原バーガーが登場した。

 冬期は持ち帰りのみ。イートインはいつから可能か訊いたところ、暖かくなる4月頃からOK。でも5月半ば、高原の緑が一斉に萌え出す新緑の頃がベストシーズンなので、ぜひその頃いらして下さい――との返事をいただいた。ほぉ……それはよき・こと・きく

●新緑の海

 那須を訪ねるのは今度が初めて。那須ゝゝと聞いてはいたが、行ってみて驚いた。有料道路途中の展望台から見下ろすと、木々がまるで大海原のように果てしなくどこまでも広がっている(即ち"樹海")。その新緑の海の波間にクルマを入れて、道なりに走らせると、黒磯、塩原と地名だけを変えながら別荘地、牧場、キャンプ場などが途切れなく延々と続く、その規模の大きさ――那須は我が貧弱なる想像をはるかに上回る、一大避暑地だった。

●Ingot Gallery NASU


 東北自動車道・那須ICを降りて別荘地へと向かう、その途中。観光気分あふれる那須街道沿い。広い駐車場のずいぶん奥に引いて構えるのがシルバージュエリーの店Ingot Gallery NASUである。宇都宮店の職人が作るオリジナルはじめ、国内アーティストの作品からインポートジュエリーまで魅力的な品揃えで人気の店。この春からネット販売も始めた。

 はじめ銀河高原ビールのビール園の中に店を出していたのだが、ビール園が閉まってしまったため、内装に使っていた木材一式を解体・搬出して、街道沿いの飲食店跡にごっそり移築したのが1年前。

●Iターン

 那須にはその豊かな自然とスローな空気に惹かれ、多くのアーティストたちが集まってくる。陶芸家、彫刻家、建築家、音楽家、イラストレーター……。ひと癖もふた癖もある連中が集まるほどに、同じニオイを嗅ぎつけ、さらに同類が寄り集まってくる「類友」方式。こうした変わり者歴々の趣味趣向がミックスされて「那須」の空気が構成されているのだと、そう説明するIngotの宮本さんだって、那須にすっかり魅せられて東京から移り住んだIターン組だ。


 そんな那須の空気の中にあっては「ただ商売するんじゃなく、なにかしら面白くやりたい」という、そんな気分にさせられるらしく、そこで店の移転に際し、何かやりたいなぁ――と宮本さんが考えついたのが、この「Burger Shop UNICO(ウニコ)」だった。

 店の裏手は那須岳の眺望が良いだけが取り柄の、ただの野原。ココにイスでも置いて、雄大な那須の山並みを眺めながら"何か"をゆ〜っくり食べたいなぁ……そんなイメージが浮かんだ末、宮本さんの頭の中で像を結んだその"何か"こそハンバーガーだったと――まさに絵に描いたようなスローフード&スローライフ

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2007年05月18日

# 174 LATINO HEAT [神奈川・茅ヶ崎]



 センター南のカリフォルニアダイナーBu(ブー)が、立派なホームページを残したまま忽然と姿を消したのは去年'06年の9月の末。以来多くの人が「一体何が起きたのか」とずいぶんと不思議がっていたのだが、今年'07年1月、Buの"流れを汲む"店が湘南茅ヶ崎にオープンしていたことを、ふとした偶然から突き止めた。

●Buを継ぐ者

 オープンからわずか1年2ヶ月――母体である会社の事情でBuの閉店が決まったとき、キッチンスタッフの1人だった田辺さんが「それなら僕にやらせて下さい」と手を挙げてみたところ、「そーかそーか、それならアレもやろう、ほらコレも持って行け」……と言われたかどうかは定かでないが、机イスをはじめ食器類一式、外灯やビリヤード(……の何か)に至るまで、Buにあった殆どのものがそのままラティーノヒートへと運び込まれたのである。これぞまさに渡りに船、ネギがカモ……逆か。

●パティの一語


 バーガーメニュー17品もBuから継承。メニューを開いただけで、Buの常連ならきっと目を潤ませて懐かしむに違いない。Buバーガー¥1,100も当然のように顔を見せている。チーズバーガー¥1,100。表面を覆うセサミがつぶつぶ・プチプチと心地好いバンズの裏にはマスタード、チェダーチーズが2枚、パティ、シュレッドオニオン、リーフレタス、マヨネーズ、下バン(heel)。

 このバーガー、なにしろパティの一語に尽きる。150g。挽き粗く、グズッと崩れるような食感でありながら、しかしモロモロにほぐれ去ってしまうことなく、紙一重の線でワイルドな肉らしさを強調。崩れるほどに滲み出す肉汁は、肉好き諸兄諸姉を満足させることだろう。2枚のチェダーチーズとの粘着質な絡みは絶品!

 これならオニオンは生よりグリルして載せた方が絶対合うだろう――と思ったら、グリルド・オニオン・バーガー¥1,100なるメニューが計ったように用意されていた。しかもまた無鉄砲にもオニオンが採算度外視の極厚――このバーガー絶対間違いナシ! 付け合せはきゅうりのピクルスにご存知クリスフライ。

●ドリップ


 お供はアイスのストレートティー¥450にしたのだが、聞けばコーヒーはマシーンでなくて、なんと一杯ずつ手でドリップしているというから驚いた。「うちはカフェなんで」せめてコーヒーくらいは……ということだそうなのだが、しかし立て込んでいる時に「カフェラテ!」なんて注文入るとちょっと大変――牛乳は鍋で温めていますから。ブレンドは酸味や苦味のくどくない、すっきりとした飲み口。脂分多目のバーガーを食べた後には丁度よい口直しだ。

 "LATINO"とは「ラテンアメリカ系のアメリカ人」のこと。物事にこだわらず、お気楽に生きてるようでいて、秘めたる情熱家。こう見えてもヤルときゃぁヤルぜ! とまで能天気な店でもないが、そんな肩に力の入らない、スローな空気の中で店をやりたいという想いが込められている。実は店名にはもう一つ別な意味もあるのだが、コレはマニアにしかわからないオイシイ目くばせということで、まぁ語らずに置きますか……。

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2007年03月21日

# 168 Hi-5 BURGERS [茨城・つくば]



 つくば駅目がけて矢の如く疾駆するTXの車窓に青く霞む筑波山が見えたとき、思わず「やったー!」と声を上げそうになったものだ。二峰が鋭く並立するその山容――『日本百名山』を予習して来た甲斐があった。ちなみにコチラ――お国は甲斐でなく、もちろん常陸。常陸の国のバーガー店は初。取手市戸頭の「BIG SMILE」は、県は同じ茨城なれど国は下総と。

●テクノパーク桜のスーパーマルモ隣

 最寄駅はTXつくば――と言っても徒歩圏に在るわけでは全くもってなく、クルマで行く場所である。近隣の人向けに説明するならテクノパーク桜のスーパーマルモ隣。つくばセンター(つくば駅)からコミュニティバスが辛うじて出ているのに加え、関鉄・JR2社の路線バスがコノ付近を経路にしているので、徒歩(かち)組もどうにかなるっちゃなるが、しかしココ――路線図を見る限りではむしろ土浦圏である。

 つくばテクノパーク桜は鉄道駅からバス30分、郊外の丘陵地に突如出現するニュータウン、工業団地。その生活の中心であるスーパーや外食店の集まる一帯にHi-5 BURGERS(ハイファイブ・バーガーズ)も軒を連ねている。ナゼこんな不便な土地に、しかも個人経営のハンバーガーショップなんて、都内でさえまだめずらしいモノが在るのか――そこにはこんなバックストーリーが隠されていた――。

●ファイヤーハウスとオートマンダイナー

 オーナー片平アツシさんは、この辺りが地元。車やバイクを通してアメリカが好きになり、ハンバーガーに興味を持って「ファイヤーハウス」か「ホームワークス」、どちらかの店で働いてみようと、まずファイヤーハウスに食べに行ったところがコレが凄まじくおいしくて、求人に即応募→即採用――コレまだ20世紀中の話。

 ファイヤーハウスには約2年。仕事のかたわら「やはり基礎を学ばねば」と調理師学校に通ううち、そこで知り合ったのが「オートマンダイナー」の"大将"こと五十嵐さんとシュウさん。3人は意気投合して'01年6月、埼玉県川越市にオートマンダイナーをオープンさせた。なのでオートマンの店の入り口にある5つの手形のうちの1つは、アツシさんのものである――ちょっと横溝正史チック("奉納手形"の話は『犬神家の一族』です)。

●苦節

 オープンから3年、オートマンの"アツシ"は店を離れ、念願の自分の店のオープンに取り掛かる。ところが物件探しの半ばにして突如病に倒れ、以後1年余りもの間、長く辛い闘病生活を余儀なくされた。

 回復後もしばらくは飲食の仕事に就くことが出来ないでいたが、体が元通りに動くようになるにつれ「昔の夢をもう一度追ってみたくなって」、昨年'06年12月、ついに念願の自身のバーガーショップを地元つくばにオープンさせた。オートマンを離れてから実に3年越しの夢の実現である。



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2006年09月30日

# 151 TREASURES [札幌・西11丁目]



 結論から先に言うと、札幌には個人経営のハンバーガーショップはまだ数えるほどしかないのである。


●札幌バーガー事情'06

 ブームに乗ってメニューに載せているダイニング/居酒屋系を掻き集めてどうにか……というところなのだが、ところがところが!「すすき野TOWN情報」なる情報誌(2006.8.20号)の表紙をハンバーガーが飾っているのを目にしたときには相当に驚いた!しかもそこら中のコンビニの入り口・レジ脇など目に付く場所に並んでいるのである。

 ススキノエリアで食べられるハンバーガーを集めて全10店・6ページに亘る特集に組んでいるんだけど、これがまた相当に広いエリアからのピックアップで、さすがにハンバーガーリサまでは及ばなかったものの、南2条西9丁目に在る(つまりすすき野とは全然関係無い)このトレジャーズもそのエリアの中に加えられていた。

 とにかく気になる話題であることには違いないのだろう――ハンバーガーは。少なくとも編集者に「ウチもバーガーで特集出したい……」と思わせるほどには魅力的だったワケである。とは言え特集に仕立てるには層の薄さという点で無理があった。頭数は揃っても、どこかバブリーな感じも否めない。そんな玉石混交な中、札幌における個人店の先駆け的存在であるこのトレジャーズは、さすがに独り本物の輝きを放っていた。


●南2西9

 南2西9というと賑やかな一帯からは離れて、よく言えばオフィス街の裏手、悪く言えば一通の抜け道。大通公園は辛うじて並行して在るが、でもだいぶ端の方である。すぐ側にプリンスホテル。真下が有名なスープカレー屋。丸っきり人通りの無い場所ではないのだけど、しかし目的無く行く場所でもない。本当はもっと賑やかなところに出したかったのだが、条件にあった物件を探すうち、外へ外へと追いやられていったそうで。

 ライトグレーなビル1F。元クリーニング店だった物件で総床面積7坪。入ると手前がホール、ガコンと一段上がって中二階のようになった奥がキッチン。ホールは席数8ばかり、背の高い(あるいは脚の長い)スツールが窓や壁に向いてぐるりと廻らしてある。見るからに手狭い感じだが、でもニューヨーク辺りの横丁の角にでも在りそうな構えで(って行ったことないんだけどサ、N.Y)、場所なりに悪くない。あとオモテにスチールの机椅子を一組出してあるが、これが出来るのはもちろん夏場のみ。冬ともなりゃ〜、あーた……(って行ったことないんだけどサ、冬の北海道)。

 天井には例によってファンがユラユラ。壁に星条旗、なぜか『博士の異常な愛情』のポスター。全体にトレードカラーであるグリーンの配色。テレビモニターにはモトクロスレースの映像か何か、BGMはオシャレなブラジリアンか何か。



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2006年09月24日

# 150 ラッキーピエロ [函館]



 2年越し――'04年5月、駅前店での「25分待ち」が旅程に響き、泣く泣く諦めたラッピことラッキーピエロに今度こそあり付かん! と、2年を経たこの8月、再び"訪函"。

●ラッピとGLAY

 函館の人でラッピとGLAYのことを悪く言う人はまず居ないだろうというくらい、地元に深く愛された店である。溶け込んだ――いや滲み込んだと言う方が合っている気もする。

 GLAYが紹介したことがきっかけで一気に(全国的に)ブレイクしたという話を聞いたことがあるが、どうやらそういう言い方も大袈裟ではなさそうで、それどころか資料をいろいろと見るにつけ、むしろラッピとGLAYは切っても切れない間柄のようにさえ思えてくるのである。中でもJIRO氏は生涯無料のパスポートを持っているとか……(て言うか、もはや顔パスでしょ)。函館市内ばかりに11店舗。地方・一都市限定でこれだけの規模のハンバーガーチェーンというのは今日、日本国内に他に例が無い。

●プレスリーが青春だった

 もちろん全11店('08年現在13店)周ったわけではないのだが(「全店制覇ラリー」なるものもある)、どの店もそれぞれ異なるテーマ、デザイン、メニューを掲げ、店作りをしている。


 例えば十字街銀座店は「ハンバーガー&カレーレストラン」――コレはごく典型的なパターン。五稜郭公園前店は「ハンバーガー・カレー&スパゲッティ」人見店「ハンバーガー・カレー&ラーメン 餃子」上磯店に至っては「ハンバーガー・カレーとんかつオムライススパゲッティ」とまぁ一見すると、最近の「FK」の様な「何屋だかよく分からん状態」に陥っているようにも思えるのだけど、しかしハンバーガーという軸がブレていないので、どこもしっかりと「顔」の見える作りを保っている。

 サブタイトル――美原店「僕らは皆んな映画青年だった」港北大前店「プレスリーが青春だった」松陰店「アンリ・ルソーの熱帯楽園」で、今回訪ねたベイエリア本店は「森の中のメリーゴーランド」……あぁ、書いてるうちに覚えソ。さらに小見出しが……函館駅前店「連続うまさの感動」本町店「すべてはお客様のうまいのために」港北大前店「うまいものしか売りたくないのです」。極め付けの一店は大谷高校内店。文字通り私立高校(実はJIRO氏の出身校)の「校内の食堂として稼動中」の店で、生徒・教職員限定というプレミア店。中央大学の「トムボーイ」もびっくり!

 とまぁこんな調子でイイ意味でやりたい放題、好きに暴れ回っている感じなのだけど、しかしそれにまた函館の人たちが着いて来ているからこそ、その「やりたい放題」も成立するワケで、それだけ人を惹きつける強い「魅力」と巻き込む「勢い」と、そして何より人を唸らせる「美味しさ」とを併せ持っている――ということになるのだと思う。

●奉仕活動

 ラッキーピエロは、店舗周辺はじめ海岸・公園などの清掃活動、ユニセフへの募金活動、小中高生の総合学習応援、被災地避難所での救済活動(カレーライスの炊き出し)などの社会奉仕・社会貢献を積極的におこなっている。


 もちろん日本を代表する大企業だってこれに相当する、ないしはこれら以上の大規模な社会貢献をやっている筈ではあるが、ただ規模が大きくなればなるほど、我々消費者との間に距離ができ、何かそれが遠いところでやっていることかのように思えて、今ひとつ実感が湧かない(つまりノレない)――というマイナスがどうしても生まれてしまう。

 その点ラッピは営業展開を函館市内に限っているため、ダイレクトにその様子が窺えて、活動の結果が身近に返ってくることが実感できる。そうした手応えはまた「次」の活動へと繋がってゆくだろうし、何よりこうした社会活動への興味と関心を芽生えさせることにもなる。地域に根差したこうした活動は、個々人の力だけでは難しい面も多く、また大企業では今ひとつ顔が見えにくい。ちょうどラッピぐらいの規模がそれをやるのに適した大きさと言えるのかも知れない。

 王代表がラッピのエリア拡大、市外・道外への出店を望まぬ理由は、そんなところにもあるように思われる。目指すは拡大でなく充実思い描く充実を実現できるサイズというものがまず意識の上に置かれていて、そこから手の届く大きさ・顔の見える大きさを決め出しているのだろう。

 まるで提灯記事のようになってしまっているが、大袈裟に書いているつもりもない。ラッピには(良い意味で)人を巻き込む勢いというものがあって、お客さんを、函館市民を、函館を、良い方向・良い方向へと引っ張ってゆく引力を放っているような感じは……確かにちょっとだけしましたネ。

 まぁ、高々バーガー2個食べたくらいで解かることではないのだけれど、しかし私も高々2日の訪問ですっかりその勢いに呑まれてしまった1人なので……(良い意味で)。

 前置きはいい加減このくらいにして、そろそろ2年越しの念願を遂げた話を……



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2006年09月05日

# 149 American Spirits M.K.Y [函館]



 話は前回から続く。札幌のハンバーガーリサで一緒になったお客さんの1人・A氏が「自分も函館でハンバーガーショップをやっていた」と言い出したのである……またしてもえーっ!


●A氏のこと

 A氏の店はクーチークーチーと言い、五稜郭の近くにあったが、故あって閉店せざる得なくなり、その後は臥薪嘗胆、再興を期して札幌で働いていた。それが今秋10月、すすき野にオープンするアンチというメキシカン/テックスメックスの店のシェフに迎えられることとなり、晴れてバーガーも復活させられる運びとなったそうなのである――めでたし!目出度し!(このA氏については、また別に一編を設けねばなるまい)で、その元クーチークーチーのA氏が函館時代、店のことなどをよく相談していたのが、このアメリカンスピリッツの大平マスターだった。



●大三坂近く

 函館で一番有名な坂、八幡坂(はちまんさか)と日本の道百選にも選ばれた名坂、大三坂(だいさんざか)の間にある。大三坂を上れば、上はハリストス正教会やカトリック教会などの建つ元町の街並み、下れば金森倉庫や西波止場などのウォーターフロント。人気観光スポットを結ぶ中間にあって、しかし周囲はさほど騒がしくない、意外や好立地ではないかと思う。



 室外機こそホットピンクに塗ってあるものの、両開きの赤い扉を一歩潜れば、すっきりと要所を押さえたスタイリッシュなアメリカン。不必要にコテコテさせていない辺りに清涼感を覚える。お決まりのジュークボックスにアンティークなキャッシャー、天板のエラク分厚いダイニングテーブル。天井に揺れるファン。そしてカウンターの壁にはエルヴィスやらバディ・ホリーやらのジャケがずらり。席数にして20ほど、マスターは「狭い」と言うがなかなか手ごろなサイズで、どこか居心地好いガランとした空気が漂っている。好きな空間だ。



エルヴィスやらバディ・ホリーやらのジャケがずらり


 17時からの夜のお店。日曜のみ昼12時から営業。昼は函館山の背後から照り付ける陽射しが向かいの店にモロに反射して照明要らず、店内非常に明るい。この陽射し、札幌を歩いている頃から何かヒリヒリするな……と思ってはいたのだけど、よく考えてみれば北海道は緯度が高いので、それだけ太陽の南中高度が低くなるわけである。なので東京と比べ、常にヨコから差し込んで来る感じになり、しかも遮る建物も少ないので容赦がない。湿度低く、空気は涼しいが、それでも今年は「夏らしい夏だ」と地元の人も言っていた(正確にはリサのマスターの言)。


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2006年09月01日

# 148 ハンバーガー リサ [札幌・二十四軒]



 北の大地の美味しいハンバーガーを食べようと札幌のバーガーショップを訪ねたら、思いもかけぬ"歴史"が待ち受けていた。

●Est.1956

 東西線で丸山公園よりさらに先、隣は琴似。二十四軒(にじゅうよんけん)という市街からはやや離れた少し寂しい場所で、住宅・マンションの他に物流倉庫や食品加工場なども隣接する、完全なる郊外型の立地である。明らかに商売に不向きなこの土地に、その思いもかけぬバーガーショップは在るのである。アチラ(米国)の田舎町に在りそうなちょっとした酒場の様な外観。看板には赤地に白く店の名が書かれている。問題はその下――Est.1956……エッ!

●博多、西中洲

 R&B/ソウル・ギタリスト、山田創(やまだつくる)氏の店。正しくは山田氏の母親の店だった。遡ることちょうど半世紀前――1956年、ハンバーガーリサは博多は西中洲にオープンした……えーっ! '56年という時代はハンバーガー屋としては第2世代とマスターはいう。


 第1世代とは屋号も看板も無しに鉄板1枚引っ提げて進駐軍相手にバーガー焼いてた人たちのこと。日本人相手の商売が第2世代に当る。ハンバーガーリサは、彼ら第1世代にアドバイスを受けた山田氏の母が、鉄工所で切り出してもらった鉄板をコンロに乗せて、日本人相手に始めた店だったのである。それが'56年、福岡は博多でのこと。北のハンバーガー屋を訪ねて北海道に来たつもりが、博多のハンバーガー屋と戦後の市井の様子について知ることになろうとは……世の中まったく何処で何に出遭うか分からない。

●三姉妹の店

 となると「リサ」はその母上の御名前かと思いきや、然に非ず、スペイン語で「笑う」といった意味だそうで――またも意外。そもそもその時代に鉄板一枚持ち出して、お好み焼でなくハンバーガーを焼こうと思う時点で、既にどこかハイカラさんである。アジア随一の国際都市・上海から引き揚げて来たというのもあるのか。ハンバーガー¥80、チーズバーガー¥130。コーヒー¥60、トースト¥50、コーンフレイクス¥70(いつ頃のメニューか定かでないが)。「ハンバーガーでは何だか判らない」と、看板には敢えて「ハンバーとコーヒー」と書いた。

 戦後11年、街はそんな状況だった。天神と中州の間という立地の良さと、姉妹3人で営む店という噂も手伝って、店はまずまず繁盛。しかしなにぶん女ばかりの店なので、誰か嫁に行く度にメンバー交代・世代交代を繰り返し、最後はマスターのいとこに御鉢が回って細々続けていたが、13年前、ついに閉めた。



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2006年08月25日

# 147 ラッキー [静岡・磐田]



 昨日近江で今日遠江(……飛鳥、斑鳩?)奈良時代、遠江国の国分寺が建立された由緒正しき地、遠州磐田(いわた)。今ではJリーグジュビロ磐田(←ホントはサックスブルー)の本拠地として名高いが、ココ磐田にもちょいとワケありのバーガーショップが在る――このページを見つけなければ行くことはなかったろう、多謝!

●グリコア

 今から20年ほど前、「グリコア」という変な名前のバーガーショップが近所にあって、よく行ってたんだけど、いつの間にやら跡形も残さず消えて無くなって、で、アレは一体何だったんだろ……というのを"我々取材班"が、目撃情報をもとに現地へ急行したり、予期せぬ事態に遭遇したり、内部に潜入したり突入したりして究明するページなのであるが、さて、その流れを受けて当サイトは……しかし班を組織するほどの人数も居らず、突撃をやり抜くだけのダンディな緊張感も全く持ち合わせていないため、以下ごく平板な調子で、調査結果の"発表"を粛々と進めさせていただきたく……。

●サンテラス磐田


 場所は磐田の駅からバス停2つ。スーパーマーケットサンテラス磐田の中に入る店。付近には市民文化会館、磐田農業高校。市役所もそう遠くはない。あるいはこの一帯が磐田市民の生活の中心……かも知れない。サンテラス自体、ジュビロの応援セールや新人選手のトークショーなど、各種催事の会場として度々使われているようなので、地域の集会場的な役割を担っている……ということも考えられる。

 南口と呼ぶのか、とにかく正面玄関ではない入り口のヨコ。但しスーパー内部に完全に組み込まれた造りではなく、外に面して店独自の入り口も持っている。建物の形に沿った台形の店内。ベージュ、クリーム系を基調に褪せた色合いで、窓大きく、天井にはひと昔前のホテルのロビーか……というくらい豪華な装いの照明が輝き(←やや誇張アリ)、明るい造り。ミスド風、木の背もたれの椅子が無数に並び……あれ? 背もたれの外れた椅子も一脚……。BGMは全館共通の正統派ムード音楽。時おり特売のジングルが割り込む。

●高校野球中継


 そんな中、この店の主であるおっちゃん、壁に組み合わせ表まで貼って、ヨコに長ーいカウンターの端に置いたテレビで高校野球観戦と決め込んでいる(第88回)。しかし店内、実況の音声こそ響いているが、画面はおっちゃんにしか見えない……オイッ! 歓声が上がるとつい手が止まりそうな感じなのだが、しかし誰困ろう、客は自分の他、常連と思しき男性だけなのだから。客層は年齢高め。同じこの館内の何処かに入るマックにはヤングが群れ集い、その黄色い喧騒が五月蠅いアダルトたちは裏手のコノ店を愛す――という棲み分けが確立されている模様。それでも時には小学生くらいの女の子が、お母さんを伴ってポテトを買いに来たりもする。すると最前、黙然と野球観戦を決め込んでいたおっちゃんも、このときばかりは俄然表情が輝くのである。

●コーヒーチケット

 注文すると、レースのカーテンで仕切られた横長カウンターの奥半分に入り、業務開始。その仕切りのカーテンの上にはファストフード店の様式に正しく則ったメニューボードが、多年の日焼けに色褪せながらも、しかとカウンターを見下ろしている。コノ店、地元静岡の老舗トミヤコーヒーから豆を仕入れているのだが、メニューの看板下にはそのトミヤのコーヒーチケットが、ボトルキープの様に持ち主の名前を書いた状態でざっと34枚(全然ざっとじゃない)、並んで貼られている。ほぉ……てえこたぁ、少なくとも34人の常連客がいるワケだな? ……って何だかJASRACの調査員みたいですが。



●デラックス

 バーガー類5品。ハンバーガー¥230、ベーコンエッグバーガー¥270。アメリカンコーヒー¥240、ワッフルサンデー¥320。本日は見栄えを考慮してデラックスバーガー¥380を。

 デラックスバーガー¥380。トレイに白紙一枚、その上に紙に包まれ。開けるとバーガーは""を向いていた……マック流である。バンズは表面何もナシ、ちょっと潰れているのがいただけないが、マックのようにアゴの裏に貼り付くまでのことはない。中はケチャップ、ベーコン、パティ、チーズ、意外やジューシーでびっくりのトマト、レタス、マヨネーズ、ケチャップ2、パティ2、下バン。なんせデラックスなのでパティはダブル。そのパティ、肉らしいゴツゴツもザラザラも無く、代わりに妙な鈍いぷりぷり感がある。マヨネーズが効き過ぎ。コレでトマトの水気がもう少し均等に全体に行き渡っていれば、もう少し食べやすいだろうか。

●取材班の撤収と台風7号の接近


 さて話戻ってグリコア――江崎グリコ系のハンバーガーチェーンで、おそらくロッテリア、森永ラブ、明治サンテオレらと同時期に登場して、しかし殆ど記録らしい記録を残さずに人知れず消えてしまった店である……らしい(私は全く知らなかった)。そのグリコアが去った後に、別の外食チェーンが入るパターンはままあるらしいのだが、看板を変えた後もなおハンバーガーを売り続けているという例は、ひょっとするとココだけかも知れない――という点で磐田はグリコア研究者の間で聖地とされる(……ちょと取材班がかってきた)。なるほど確かに取材班の報告通り、オモテの看板には「グリコア」の文字が白くはっきりと塗り潰されているのだった――ハイ! 間違いなくグリコア!

 状況証拠は揃った。あとは生き証人たる店主のおっちゃんにインタビューするだけ……なのだが、しかしおっちゃん高校野球に夢中で、てんでノッてこない。店を始めて25年……ぐらい、店の名変えてから20年……ぐらい。それ以上訊くのは諦めたが(邪魔するのも悪いしぃ)、おそらくサンテラスのオープン当初から入っている店だろうと思われる。バーガー続けて四半世紀――まぁそれだけ判れば十分! てなことで私も最後は取材班張りに、台風7号の接近を前に風雨徐々に勢いを増す現場を後にした



【各地に残る、創業20年超のハンバーガーショップ】

― shop data ―
所在地: 静岡県磐田市見付天王下3007-1 サンテラス磐田1F
     JR磐田駅より遠鉄バス10分 地図
TEL: 0538-35-6348
営業時間: 10:00〜21:00
定休日: 不明(要確認)


2006.8.25 Y.M
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2006年06月23日

# 135 BIG SMILE [茨城・取手]



 利根川を渡ると茨城県である。常磐線で茨城県内最初の駅は取手(とりで)である。その取手から関東鉄道常総線という私鉄が走っている。その関東鉄道に乗って5駅目、戸頭(とがしら)という駅がある。

●戸頭

 戸頭は取手に次いで常総線第2位の乗降客数を誇るベッドタウンである。戸頭からさらに2駅乗ると守谷駅があり、此処は昨年開通したつくばエクスプレスと接続している。本気でぶっ飛ばすTXのおかげで、戸頭から都心へのアクセスは飛躍的に良くなり、上手くすれば47分で秋葉原まで行くことができる(駅探調べ)。


 諸々入れて1時間。常磐線周りでも1時間10分。戸頭はじゅうぶん都内への通勤圏なのである。私の今の通勤時間が1時間30分である。渋谷までならば乗車時間は1時間弱だろうか。つまり私の現住所、神奈川県相模原市と茨城の取手市は、都内へのアクセスにおいてほぼ等距離ということになる。ともあれあのスピード狂の威力は絶大。

●黄色いキッチンカー

 改札を出て南に歩くとまず公団戸頭団地。間の遊歩道を抜けると住宅街に出る。戸頭駅開業が'75年、団地の竣工は'77年。ちょうど木内監督率いる取手二高が甲子園に出場し始めた頃だ。なので30年を経た街である。落ち着きがある。静かである。のどかである。さすがに郊外だけあり、家が大きい。


 車道に出て、さらに南。と、前方に昼間からエライ混み様のベーカリー……帰りに寄ってみようと思いながら、寄りそびれた! もう少し歩くと、1階に店舗が3店ほど連なり2階は貸室が3部屋で1棟という、こうした住宅街の外れ(オワリとも言う)に必ず見かける建物の、一番向こうの店の前に目にも鮮やかな黄色いキッチンカーが停まって見える――ハイ、本日のお目当てはコチラ。

 このキッチンカーでハンバーガーを焼いている。ハンバーガー¥650にホットドッグ¥500、あとはトッピングという考え方の様で、テイクアウト用のメニューは至ってシンプル。トッピングチーズは¥100なのでチーズバーガーは¥750。本日はさらにパイナップル¥50をトッピング、締めて¥800。ソースは4種類から選べる――バーベキュー/テリヤキ/レッドホットチリ/スイートチリ……ってコレ、人形町のアノ店と一緒じゃん!! そう、実はコノ店、かつて「BROZERS'」で働いていた倉持さんが昨年1月より始めた店なのである。

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2006年05月05日

# 128 UNCHAIN FARM [埼玉・草加]



 アメリカでの牧場生活を支えたパワーフード・ハンバーガーを日本に伝えるべく埼玉県は草加に'05年11月30日オープン。


●草加

 東武伊勢崎線草加駅は思っていたよりも大きな駅だった。駅前はそれはそれは美しく再開発されていて、マルイがあることを思えば東急田園都市線溝の口駅(川崎市高津区)辺りに相当するだろうか。

 ただやはりこの平たい地形がモノを言うのだろう、同じ再開発でも溝の口よりゆったりと全ての造りに余裕がある。これだけ高い建物が目の前に聳えていながら(と言っても8階建ですから)、水平方向の広がりが街にどこか伸びやかな印象を与えるのだ。もっとも溝の口はJR南武線と交差する駅なので、そうした意味では新越谷との比較の方が正しいのかな?まぁそんな話はどうでも……

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2006年04月10日

# 121 Forest [埼玉・中浦和]



 引き続き埼玉より。中浦和という駅で降りる――

 JRで「浦和」と付く駅はなんと7駅「浦和」「東浦和」「西浦和」「南浦和」「北浦和」「中浦和」「武蔵浦和」……わかんないヨッ! ある種の悪意をすら感じるこのネーミング、こんなことになるのはよほど浦和という名の土地が広範囲に亘っていたか、よほどその市域の中で地区・地域が細分されていなかったためか、あるいはよほど浦和の名を世に知らしめたかったか……そんなことしか思いつかない。東京近郊の鉄道路線図を見渡しても、同じ地名がこれほどまでに多用されている例は、この浦和をおいて他に無い。しかも――これだけ路線図上で幅を利かせておきながら「浦和」という市は最早存在しないのである……

 中浦和という駅で降りる。普通、駅を降りるとロータリーがあり商店街があって、それらを総称して「駅前」と呼んだりするのだけれど、コノ駅は、高架駅から地上に降りるとすぐ住宅街ののんびり静かな空気が迫ってきて――ファミレス、ボウリング場など数店が在るにも関わらずである――駅前と住宅地との"境"を極端に感じない駅だった。駅前が開発されていないとも、あるいは住宅地のド真ん中に駅が造られた――とも言えるか。

 3分も歩けば別所沼公園。そのすぐ向かいに在るお店――という話なのだが、公園と店との間には二車線道路が走っており、しかも案外と交通量が多いものだから、公園と地続きという印象でもない。一切の枝を刈り落とされて、まるで鉛筆のように直立するメタセコイアの木が、今にも降りだしそうな灰褐色の空をバックに無機質な風景を造り出している。

 背後に12階建のマンションを従えた古い4階建ビルの1F。メタセコイア同様、かつては殺風景であったろう店の入口には、カーポートの上にまさか自作……? かも知れない立派なウッドデッキが造られて、公園を眺めながらお茶のできるテラス席になっている。店内入るとまずカウンター。床はオレンジ色の焼きタイル"風"リノリウム。壁の木材をフォレストグリーンに塗り、店名が如くエコでナチュラルなイメージが広がる。BGMもアルファ波誘発系、サントラティックなオーケストラ。

 チーズバーガー¥260(安っ!)。ちょっとしたバスケットの中に傾いて登場。実にちょっとしたバーガーである。可愛らしいという形容が相応しいサイズと丸み。表面何もないツヤツヤバンズ、裏マスタード、マヨネーズ、ドミ系ソース、レタス、チーズ、パティ、下バン。裏がサックリ焼かれたバンズは見た目にも想像できる甘い味。ドミ系と言うかハッシュドビーフみたいなソースとマヨネーズの味がそこに乗り、全体にも甘めの構成。中でもソースの支配率が高い。パティは繊維質ぎっしりでしっかりした噛み応え。

 きのこバーガー¥300はソースにサウザンドレッシング、レタス、刻みオニオン、パティ、胡椒がはっきり効いたしめじ、下バン。やはりソースのハヤシな味を中心にした、甘めバーガー。いずれも、その中でかっちりとまとまった印象を受ける。小ぶりながらもこの値段――バーガー9品はすべて¥320までに収まる多分こどもからお年寄りまで、幅広くたくさんの人たちに気軽に食べてもらいたい――そんな思いから抑えた価格設定にすることを考えたのだろう。そしてその設定の中で作れるサイズはコレだった――というまず価格ありきで、後から決まったサイズであるように思われる。2つくらい平気でいけてしまう、手軽なちょっとしたおやつ感覚のバーガー……そう、値段といい雰囲気といい、世田谷の「ERIC'S HAMBURGER SHOP」を思い出す。

 ハンバーガーショップを志す人の中には、例えば「OATMAN DINER」のマスターのように本場アメリカの豪快なバーガーに惹かれて始める人と、ファストフードな業態に……と言うとチェーン展開を想像するので、この場合「形態」と呼ぶのが適当か? ――とにかくファストフード店のスタイルに強く憧れて自分でもやってみたいと思う人と、大別して2種類いるのかも知れない。コノ店は後者に当てはまる。

 まずレジで注文し、代金を払ってから席に着く。バーガーは店員が席まで運んでくれるが、帰りは客がセルフで下げる――。こんな小さなお店ながら、ファストフード店同様なゴミ箱(フタがスイング式の。しかも木製)があり、バーガーの包み紙には「チーズバーガー」「きのこバーガー」とひとつひとつラベルが貼ってある。そんなディテールまでもきっちりスタイルを踏んでいる辺り、この店は「海賊島ハンバーガー」以上にファストフードである。男子2名、厨房の奥に静かに控えている辺りは、やはりエリックスと像が重なる。と言うコトで当企画ではあえて埼玉版エリックスと呼びたい。公園を散策した後のちょっとした足休めの場にふさわしい、埼玉のエリックス


2006.4.10 Y.M

posted by ハンバーガーストリート at 20:20| Comment(4) | TrackBack(0) | 東国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする