2011年3月11日金曜日に発生した東北地方太平洋沖地震におきまして被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
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2005年、06年辺りより端を発するここ5〜6年、一食の食事となるような、手間隙惜しまずさまざまなアイデアを凝らしたプレミアムなハンバーガーが、東京都心を中心に注目され発展をし続けているが、これまでは主にわれわれ日本人の手による独自な創意工夫と事情と解釈とによる、いかにも日本人らしいハンバーガーの進化であった。このローカライズに私は"Tokyo-style"という言葉を冠したい。
"Tokyo-style Burger"は一定の進化を遂げ、ひとつ暗黙のうちに大体の「かたち」のようなものが形成されたと私は思っている――つまり、「美しく高く積み上げられた聳え立つような見た目」であり、「赤・黄・緑、原色が織り成す色あざやかさ」であり、そして「華麗なソース使いとスパイス使い」などである。
単純かつ無闇やたらに、華美で高級で贅沢な食べ物を創り出したものとは私は考えていない。つまり「これぐらい積めば千円とれるだろう」という「値段ありき」の発想からスタートした食べ物では無いということは断言しておきたい。ソレは商売人の考えである。
もちろんそうした考えも無いとは言わない。百人意見を持ち寄れば、そんな考えの人間も何人かはいるだろう。しかし昨今のプレミアムバーガーシーンは、基本的にはそうしたビジネスライクなところに衝き動かされた動きでは無いということを強く言っておく。
他の多くの食べ物がそうであったように、もちろんプレミアムバーガーも「食べたい」「提供したい」「知ってもらいたい」「喜んでもらいたい」というごく素直な感動や純粋なホスピタリティに源泉を置くものである。そこに源があるからこそ、それまでわれわれが"ソレ"しか知らなかった100円やそこらのファストフードのバーガーの十倍もの値がするプレミアムなハンバーガーが、一時の流行りに終わらず、多少の艱難があろうとも朽ちず枯れずに、今なお太く力強く売れ続けているのである。
こうした"Tokyo-style"のプレミアムなハンバーガーが世間の脚光を浴びるにつれ、認知が広がったと言うか、巻き込む人数が増えたと言うか、ともあれ騒ぎが大きくなったおかげで、今度はそこにハンバーガーの母国アメリカをはじめとする肉食を文化とする人たちが「それなら自分たちも」と店を相次ぎ構え、自分たちが思うハンバーガーを提供するようになりだした。
マンハッタン生まれの生粋のニューヨーカー、エリオットさんの店「MARTINIBURGER」、世界三大料理の国トルコ出身のジェムさんが始めた「gem's burger」、そしてカラミティ・ジェーン・バーガーにも参加したアメリカ人ジョンさんの店「FATZ'S」、オーストラリア人アーロンさんの「BUKOWSKI」。2010年、11年辺りからそうした外国人オーナーの店の出現が続いている。まだ他にもこれから紹介する予定の店がさらに何店かある。チェーン店でない独立したハンバーガーの専門店が、しかも店主が外国人のハンバーガーショップがいくつも街中にできる――10年前には考えられなかった状況だ。
これは素直に喜ばしいことである。
私が内心すごく頼もしくかつ嬉しく思うのは、彼らが自分たち独自の食のスタイルやハンバーガーのスタイルというものをしっかりと持っていて、しかも日本人独自にローカライズされた"Tokyo-style Burger"を一切否定することなく、押し付けるでもなく、またわれわれに合わせ過ぎるでもなく、むしろその築かれたステージの上にさらに積み上げるようなかたちで、あくまで彼らの嗜み方として実に楽しそうにソレを提案し、紹介している点である。
彼らが伝えようとしている"ソレ"というのは、日本国内にいる限り、いや実際にアメリカなり海外なりに何度渡ろうと何年住み続けようと、よほど注意を払わない限り知ることが難しい微妙な"感覚"だったり、日常何気ない"習慣"だったりするのである。
彼らがハンバーガーという食べ物にどういう思いを抱き、何を求め、何を楽しみに口にしているのか――そうしたことを日本に居ながらにして知ることが出来るのだから、これほどハッピーなことはない。
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"Tokyo-style Burger"の大体の「かたち」が見えてきた、でも完全には決まり切らない今このタイミングで、全く別の思考や発想が新たに加わり、揉まれ、掻き混ぜられ、より一層進化して、"Tokyo-style Burger"がより一層おいしいものになれば「是幸い」と私は思っている。
やはり餅は餅屋。ハンバーガーを語る上でその母国たる人間の意見を聞かずに通るワケにはゆかないし、正直な話、獣の肉を頻繁に食する習慣をそもそも持たないわれわれ日本人にとって、これ以上「肉料理」であるハンバーガーを進化させることは難しいのではないかと私は思っている。「何を乗せました」「何を挟みました」では決着しない、もっと根本のおいしさを磨き高めるには、長らく肉食を文化としてきた彼らの助言は必要不可欠なものに思う。
言い換えるなら、お楽しみはまだまだこれから! ということである。ハンバーガーを日本独自の食文化としてしまうには、まだまだ時期尚早ではないだろうか。"Tokyo-style"に慣れた舌をさらに「あっ」と躍り上がらせるような「カルチャーショック」なバーガーに出会えることを、彼らが作るハンバーガーに大いに期待したい。
2012.4.1 Y.M