3月11日金曜日に発生した東北地方太平洋沖地震、ならびにその後も起き続ける余震におきまして被害に遭われた皆さまに、心よりお見舞いを申し上げます。
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前回さわりだけ書いたっきりでやめてしまった日本フードアナリスト協会開催の「放射能と食の安全を考える会」、その第2回目がこの日開催されました。前回書こうとしていた内容と併せてお伝えします。
第1回目のお話から――。
「考える会」とは言いますが、その対象が過去に例の無い、文字通り未曾有(みぞうゆうみぞう)の事態ですので、つまり100%完璧なる確信を持って言い切ることのできる"快刀乱麻"な答えなど、どこの誰をも持ち合わせていないワケです。それを十分承知の上で、それでもなお「真正面から見ていかないといけません。私たちは『生きていく』わけですから」と、日本フードアナリスト協会の横井理事長は、会の冒頭、そう強く訴えました。
食品需給センターの長谷川さんは「自分には『誰のために何ができるか』」という、より具体的で明確な目的を見つけることが、この難題に当たる上での重要なヒントであるかも知れないと説かれます。
その「誰のため」は自分の娘のためでもいい、息子でもいい、家族でもいい。近所のこどもたちのためでも、身寄りのないお年寄りのためでも、地域のためでも、国家のためでも、何でもいい。大事なのは、各自が自分の「できること」をやること。そしてそれをやり続けること。「背伸びするものでなければ、ずっと続けていけます」。
実力に合わないことを無理にやっても、長続きはしません。小さなことでも続けること――継続こそが真に必要とされる力を生み出す母親であるワケですね。
ところで、お気付きの方もいらっしゃったかも知れませんが、3月30日のMUNCH'S BURGER SHACKの記事、3月10日以来20日ぶりに、記事のトップにハンバーガーの画像を配置しました。この間、トップには店の写真などを配し、ハンバーガーはあえて記事の最後に持ってきていました。私なりの配慮です。
そして3月30日、その配慮を解いて元のスタイルに戻した時点で、私の中には正直まだ若干の躊躇もありました。「テレビはもう通常の番組に戻った」とか「他のブログは普通に上げてる」とか、他人のことはどうでもよいのです。自分にとってどうなのか、が最大の問題ですので。こういうことは各自が独自に判断すべきことでしょう。
芸能方面で有名な方のようですが、「どこまでが不謹慎なのか、誰か不謹慎のボーダーを決めてくれ」などと言っている人を見かけました。いやいや、それこそ自分自身で判断して行動すべきことでしょう。何のために道徳の授業があり、何のためにひとつ共同体に長年身を置いて生きてきたんだか。
「自粛なんかしてる場合じゃない。経済を回さなくては二次災害になる」のだとは、たぶん誰しも頭の中では解っていることだと思うのです。わかっちゃいても、でも、実際その通りにはなかなか行動できないもので……しかしそうした「ためらい」だって、人間のとる反応としてごく健全な、自然なものだとは思うのです。自粛自体が間違った行動というワケではないでしょう。むしろそうした心のはたらきこそ人間らしい。
とにかく理屈だけで人の心は動くものではありません。理屈を理解した上で、それでもなお腰は重い。とは言えいつまでも座ったまま・引っ込んだままのワケにもゆきませんから、周りの様子を伺いながら、結局は穴の中からそろそろと這い出してくることになるワケですが、その「機」を見るのが実に難しい。
人よりも遅れて出て来る分には文句は言われないのですが、周りより先んじて、独りだけ「ぼこーっ」と突出などしてしまおうものなら、それこそ出る杭は打たれるです、「不謹慎な!」と散々にやられてしまう。だからこそ「偉い人が決めてくれ」などと言う輩が出て来るのですね。
経済を活性化させないといけない。しかしそれには「自粛」だとか「不謹慎」だとかいう空気が邪魔である。誰でもいいから「もういい」という合図を出してくれ――そう整理して考えてみれば、まぁごもっともな意見ではあります。途中で挙げた「どこまでが不謹慎なのか線を引いてくれ」よりはマシでしょう。
とは言っても、「総理」と見れば寄ってたかって引きずり下ろしにかかるような人たちが、「偉い人がもう出て来いって言ってるからさぁ、みんなオモテに出ようよ」などと、こういうときだけおとなしく聞くものでしょうか。甚だ疑問です。
我が世を忍ぶ仮の母校には「リーダーシップ」と「フォローシップ」という教えがありました。正しくは「フォロワーシップ(follower ship)」です。母校理事長の独自の理論ではなかったかと検索をかけてみると、それなりな件数が引っ掛かりますね。
近年、経営的観点からも注目されている言葉のようですが、学校教育にあっては「良きリーダーの育成とそれに伴ってリーダーを支える良きフォロワーの育成」といったところでしょうか。上に立つ者には強いリーダーシップが求められるが、その下に従う者たちにも、彼を支え、助け、盛り立てる、良きフォロワーの精神が要求されるということです。
世に出てみて、その実践困難であることがよくわかりました。不平不満だけ言ってるのはフォローでも何でもありません。少なくとも上に立つ人の足を引っ張らぬよう、前向きな協力をしようという気持ちが必要なのですが、まぁそれが如何にできていないことか。もちろんトップに立つ人材の良し悪しも重要なのですが、それにしても「リーダー=ただの不平・鬱憤のはけ口」「リーダー=すべての災厄・諸悪の根源」にしてしまう構造もどうかなとは思います。今だと「リーダー=貧乏くじ引いた」程度の有難味ですからね。
強力な指導者は確かに必要ですが、無い物ねだりばかりしていても仕方ありません。そんな絵に描いたようなヒーローなど百年に一人と居ないのだと割り切って、少なくとも「現状を否定しない」程度の協力姿勢は必要だと私は思っています。なんかこう近年、特に政治の世界においてスーパーヒーロー待望"幻想"が根強いですよね。居やしませんて、そんな超人。
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それで第2回目より、駒澤大学医療健康科学部 山本裕右教授の講演が始まりましました。第3回目は来週月曜日の予定。もう少し続けます。
2011.4.13 Y.M