近年、戦艦大和の母港として脚光を浴びている。東京では「クレ」と前にアクセントを置くが、後ろが上がる「クレ」が正調。呉の街はなにしろ造りが大きくて、地図で見るのと歩くのとでは大違い。もっと手のひらサイズのコンパクトな街を想像していたら、区画区画のいちいちが大きく、歩道も驚くほど広い。大通りが緑濃い夏の山々に向かって道幅を狭めてゆく姿はダイナミックですらある。高い山、そして穏やかな海――典型的な瀬戸内の風景だ。
通りからさらに細い通路を入った奥に在る、スナックのような立地の洋食屋さん。予備知識無く行ったら気付きさえしないかも知れない。ところが昨年'05年2月、この佐世保バーガーを復活させてからというもの、予約完売・売切御免の日々が続いている。
このバーガーの起こりはおよそこうである――太平洋戦争終結後、軍港であった呉にも進駐軍がやって来た。片岡氏は呉市内にある(現在の店よりおよそ100メートル内陸寄りと言っていた)、日系2世のオーナーが経営する進駐軍相手の食堂で働いていた。そこで米兵からのリクエストを聞くうち出来たのが、当時の名で言うスペシャルバーガー――1953年のこと。
お値段¥150。普通のバーガー¥80。ビーフステーキが¥300だったというから、安いメニューではない。まして日本人にはとても手の出ない値段だった。進駐軍と関わりを持った一部の人々の間でこそ評判になりながら、結局'71年のマクドナルド上陸までそれ以上にハンバーガーが広まらなかった理由には、そんなことも一因しているのではないか。そう考えると、そこにあらためて佐世保の凄さが見えてくる。
佐世保バーガーの意義は「日本初の」とか「バーガー伝来の地」とか、そういう記念碑的価値にあるのでなくて、米軍から教わったその作り方をどんな規模であれ形であれ、長年かけて自分たちのものとし、保っていったという点にあると私は思っている。
まして当時、牛肉なんて庶民にはとてもとても高かったであろう時代を背景としながらも、しかし佐世保の街からハンバーガーが消えて無くなることはなかった。しかも独自の工夫を凝らし、自分たちの味を作り出していったのである。その点を見れば佐世保は、文化の受け手として、横須賀・横浜などよりはるかに優秀だったと言えるだろう。
その後――横須賀と佐世保には今なお米軍が駐留を続けているが、呉と舞鶴からは撤退する。進駐軍の撤退とともに、その恩恵を蒙っていた飲食店や娯楽業もその役割を終えた。米兵とそのファミリーを相手としていたその食堂がいつ店を仕舞い、日系2世のオーナーがいつ日本を離れたか、正確なところは聞かなかったが、片岡氏自身もこの時期、他店(確か広島市内)に移っており、かくてこのスペシャルバーガーは時代の流れの中に一時埋没することとなる。
次に片岡氏は東京オリンピック前夜、最も槌音盛んなりし頃の東京は表参道に店を構えた。住んでいたのは目黒の東山とも池尻とも。当時の表参道は裕次郎やら健さんやら、銀幕の大スター達がこぞって住んだり店を出したりして、それはそれは華やかな街だったという。ちなみにこの時はバーガーはやっていない。で、これまたどういう経緯か氏は再び呉に戻り、そして現在の場所に店を開いたのが'68年。以来38年キッチンかたおかは続いている。
スペシャルバーガーの復活を呼んだのはお嬢さんの旅行。佐世保で食べたハンバーガーが父君のかつて作ったソレと似ていたという報告に端を発し、アノ頃は……と回顧の時が家族の間でひとしきり流れて、「じゃあ、もう一度作ってみたら?」と話が徐々に盛り上がっていった(のだろう)。
50年前の食べ物を再現するには幸運の女神のアシストも必要だった。まず肉は当時仕入れていた福留さんが今なお健在でラッキー! 問題はバンズ……こちらは当時「メロンパン」というパン屋に頼んでいた。
半世紀前、日系2世のオーナーと片岡氏、そしてメロンパンの店主とで意見を交わして作り上げたバンズ――本当なら注文の絶えた時点で作られなくなるべきものが、しかし幸運なことにメロンパンの店主がこの労作を惜しみ、コロッケを挟んで売り続けていたのである。コロッケパンは2代目店主にも引き継がれ、2代目は1日10個限定でバンズの注文に応じた(現在20個に増産)。
こうしてスペシャルバーガーは復活し、ブームに乗る形で佐世保バーガーと命名された。なぜ「呉バーガー」としなかったかについて、片岡氏よりいくつか説明をいただいたが、しかし私は後継者の不在がその一因でないかとも見ている。キッチンかたおかには継ぎ手が居ないのである。今ここで呉バーガーを興しても、いたずらに名のみ響くばかりで実体はじきに絶えてしまうだろうと。しかし今このタイミングであればこそ、この味を受け継ぐ人はきっと居るような気がする。
店は席数12ほどの窓無く、天井高い老食堂。随所がすっかり古びて、お世辞にもキレイとは呼び難い。ゴルフ中継の響く中、具材をひとつひとつ並べながら時間をかけて丁寧に作ってゆく。佐世保バーガー¥800。白いバンズは表面何もナシ、裏バター。レタス、トマト、シュレッドオニオン、ケチャップ、パティ、またケチャップ、エッグ、レタス、下バンズ。
パティはハンバーグステーキで使っているものと同寸。50年前のパティは所謂ハンバーグだったが、今回の復刻版ではつなぎは使っていない。でも少しハンバーグ寄りな家庭的な味わい。パティの下にケチャップ、上からまたケチャップ……当時どうも米兵がケチャップを瓶ごと要求したらしい。傍で見ていても「ケチャップ食べてんだか何食べてんだか……」という状態だったそうで、ソレを正しく受け継いでのこのケチャップの海と言う次第。
圧倒的ケチャップ味主体のバーガーなので、佐世保のものと同種とは言い難いが、コレはコレ、片岡氏個人の貴重な体験を経て出来上がったオリジナルなバーガーと呼ぶ方がずっと相応しい。かなりなヴォリュームがある。私がこれまで見てきた進駐軍直伝のバーガー群からすれば、片岡氏のバーガーはずいぶんとサイズが大きい(ナゼ?)。
ただ惜しむらくは、そのまま出せば上背もあって相当見栄えのするバーガーなのに「食べにくく思われて引かれては……」と岡山と同種の心配をするあまり、コレをアルミホイルに包んだ上、ペシャンコに潰して出してきて、客は焼き芋よろしくホイルを剥きながらいただく……う〜ん、折角のビジュアルを丸っきり隠してしまうとは勿体無い! まずドーンと見た目で惹いて、そして味と量で唸らせる……食べ易さなんて後から何とでもなる話で、むしろ当時米兵がどうやって食べていたか、それを伝授していただいた方が話題性もあって良いように思いますが……。
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呉市出身の有名人を見ていたら、なんと友人の父親の名が出てきた。そもそも宇宙工学の分野において著名な方なのだけれど、とは言え今やなんと!! 大和ミュージアムの名誉館長も務めているというから二度びっくり! 縁もゆかりも微塵も無い街かと思いきや、表参道の話は出るわ、友人の父の名は飛び出すわで、お釈迦様の手のひらの上をくるくる回っているとはこんな状態を言うのだろうかと、何やら雲に乗った気分である。
「今日はバンズに余分があるから」と、撮影用にもう1個作ってもらい、お土産にしてこのお釈迦様の手のひらを後にした。お土産はビールとともにこの日の夜、尾道でいただいたが、奥さんの言うとおり、冷めても美味しいバーガーだった。