ホテルオークラ
DINING CAFE CAMELLIA
またやってしまった。カメリアは別館だと何度も言い聞かせているのに、どうしても本館に入ってしまう。5階のメインロビーを1つ下り、連絡通路のじゅうたんの上を足を挫きそうになりながら歩いて、短いエスカレーターを上ると別館の1階に浮上する。カメリアは静かなラウンジスペースの奥にある。
紅、ベージュ、チョコレート――暖色系でまとめたシンプルな椅子が並ぶモダンな空間で、老舗ホテルらしい「重古さ」はココには感じられない。ソファに着き、ハンバーガー フライドポテト添え¥2,300(大人1名、税サ別)とカフェラテ¥800(同左)を頼んだ。程なくしてまずコツと置かれたのはフィンガーボウル。底にほんの僅かばかり水を湛えるだけの上品さだ。BGM――無音。冷蔵ケースのサーモのような音が少し遠くで鳴っているだけ――静かなものだ。いや、何処かでフルートの音が流れていたような気もする。が、BGMと呼ぶに当たらないくらいの微量だった。客はまばら。むしろ9時を過ぎた頃に増え始めたろうか。今夜2度目のラッシュアワーかも知れない。サラダバー「大地の旬菜」が盛況な様だ。
照明がすごく良い。天井を何本もの光の曲線が走り、グーッと大きく曲がっては他方から伸びてきたソレとぶつかり、何処へともなく走ってゆく。見渡すと、其処彼処に曲線が多い。この部屋は曲線で構成されている。少しデザインに丸みを与えるだけで、案外と安らぐものなのである。ふと手元に視線を落とせば、テーブルに敷かれた紙製のマットにも、そして運ばれたコーヒーカップにもソーサーにも、同様な曲線のデザインが施されていた。やがて白い四角い皿に乗ったハンバーガーが待望の姿を見せた。
いい味だった。
表面何も飾らないバンズはホテルらしい、気泡のやや粗いドライなもの。内側に塗られたバターで生地が黄色く見える。上品な辛さのレッドオニオンが、シャクシャクと常にリズムを刻んでいる。自然な甘さのトマト。細かく縮れたレタス。肉がまたものすごく上品である。柔らかい。キメ細かい。一切ザラつかない。しかし練りモノ的な歯応えの無さではない。一切任せたら本当に完璧な隙の無い焼き加減で出してきた。いつもの台詞「中はまだ赤味の残る……」がこれほど精緻に表現されたこともかつて無かっただろう。控え目ながら、でもしっかりと良い味を醸すパティ。
半分食べ終えたところで、残り半分はケチャップを付けて食べることにした。するとこのケチャップが見事バーガーに甘味を添えて、さらに食べやすくなる。食べやすい、しかしスルスルと喉の奥に流れ込む感じとも違う、適度な抵抗がある。パティにもある。バンズにもある。簡単に消えては無くならない、"余韻"とでも呼ぶべきものがあって、後を引く。食べ終わる頃ようやく気付いたのだが、このバンズ、包み込むような丸ーい甘さを微かに、しかし確かに放っている。どこかでマスタードがピーンと効いている。上品な線の中に浮かび上がる、マスタードの刺激とバランスが絶妙である。付け合せはフレンチフライ、ハンバーガーの中身と同様なレタス、レッドオニオン、そしてまるでラッキョ様のホワイトアスパラの酢漬け。
§ §
コーヒーカップを手に取り、苦味の利いたカフェラテを口にする。
ホテルオークラは東京オリンピックに先駆け1962年に開業。俗に「御三家」などと呼ばれるが、その1つ「ホテルニューオータニ」も同様に五輪に向けた'63年の開業、唯一「帝国ホテル」だけが1890年(明治23年)で、先の「両家」とは刻まれた年輪の数が全く違う。並べて語られることソレ自体が至極不思議であり、不自然である――というくらいにコノ御三家は同列に並べ難い。
帝国はしかも、時の外務大臣井上馨が渋沢栄一らに諮って創られたというのだから、まさに歴史の只中から生まれ落ちたホテルである。そしてこのとき、渋沢らと共に設立に携わった大倉喜八郎の長男喜七郎がのち、このホテルオークラを創始することになるのである。大正12年にフランク・ロイド・ライトの設計によって建てられた帝国の旧館が現在、明治村に移築・隠棲していることは有名だが、片やオークラの建物は小坂秀雄が外観の設計を担当。現代建築愛好家にはあまりに有名なこの複雑な構造の建築は、平成の今でも私の現在地を危うくさせて止まないのである。