―― 続・佐世保 ――
再び佐世保へ行って来た。
去年8月初めて訪れたときには佐世保バーガーについて、正直私はまだ多少眉唾に思っているところがあって、そもそも"ホンモノ"なのか、ご当地ラーメンのように観光の目玉として無理矢理に急造されたモノではないのか――という辺りを確かめる程度で体験学習としては精いっぱいだったわけである。今回あらためて佐世保を訪ねたのは、この伝来「裏ルート」の佐世保バーガーが、いかに独自の進化を遂げたかという点について、もう少し知りたかったからである。
1971年、マクドナルド日本1号店のオープンより遡ること20年前に佐世保駐留の米海軍によって伝えられた。しかし佐世保から長崎県→九州→日本全国……というような波及を見せることもなく、近年、市の観光の施策として取り上げられるまでそれこそ50年近くもの間、全国的な知名度の無いまま佐世保の街と限りなくその周辺地域にのみだけ潜み続ける存在であった(……らしい)。
だが広まらなかったのが幸いしてか、ごく狭い範囲の中で特長あるスタイルが確立され、濃い血のまま純粋培養を続けることが出来た。さてではそこで――その佐世保独自のスタイルとは、一体どういうものなのか? という話に次になる。結論から先に言うと、
1.佐世保のハンバーガーは既にアメリカの手を離れ、土地の食べ物となっている
2.土地のことは土地の者に聞け、私なんぞの口から聞くより生粋の佐世保市民から情報を得た方がよほど正確である
――と、半ば逃げも打っておこうか。
今回、食べるほどに強く感じたのは佐世保の「独自」であって、ハンバーガーの「原形」ではない。仮に同じ材料でアメリカ人が作っても、きっと同じ味にはならない筈である。本場アメリカの味を忠実に再現――と言うような話から佐世保はとうの昔に離れている(……と思う)。
目指す所はある種「モスバーガー」と近いだろうか。ハンバーガーという"およその枠組み"の中でいかに美味しい食べ物を作り出すか、あるいはいかに自分達=日本人に合った味覚を生み出すか――という試行の繰り返しが今日のスタイルを生んだ……のかも知れない。
その上さらに……ハンバーガーの作り方を最初に教えた人がエラかったのか、教わった生徒がエラかったのか知らんが、とにかく佐世保のエライところは、その食の探求が毎日の食事のレベルでおこなわれた点である。
ハンバーガーは常に普通に手の届くところにあって、部活帰りのおやつに、飲みの最後の締めに、あるいはお昼に? 晩ご飯に? とすっかり市民の"日常"になっており、習慣のレベルにまで落とし込まれている。しかも外国の食習慣が入って来て、それを「取り入れた」と言うよりも、外国の食習慣が入って来て、それをすっかり自分たちのモノとして「消化してしまった」と言う方が正しい、そういうレベルの習慣である。とにかく生活の中で語られている点こそ、佐世保バーガーのなによりの特長であることを強調したい。
言い換えれば家庭的である。本当に各家庭で作っているものなのかどうかは分からないが、店でバーガーを作るのは多くが女性であり主婦であり"お母さん"である(私の訪ねた店の範囲では。お母さんが一人で切り盛りしているお好み焼き屋さんを想像してくれたら話が早いだろう)。
なので基本的には家庭を持つひとりの女性に作れる範囲内でしかハンバーガーは生産されない(あとはお母さん1人の生産力が×3人になるか5人になるか、若いのも混ぜて分業するか――という話)。お母さんが"女社長"になり、チェーン展開をし、他県・他地方へ討って出る――そうした企業的野心や展開が、事実今まで無かったからこそ佐世保バーガーは佐世保の中だけに長らく留まっていたのである。合理性を突き詰めて世界に広まったマクドナルドとはまさに好対照である。
横須賀へ行った折にもバーガーの作り手はお母さんであった。ただ佐世保のようなパワーや勢いというものは感じられなかった。ともに日本中によく知られた"軍港"であり、どちらも米軍から作り方を教えられた……らしき経緯を持つ。人口は横須賀市の方が倍、超巨大消費地東京にも近い。片や佐世保は九州西北端の一地方都市でしかない。それでこの違いは――
この先は仮説であり、大いなる眉唾モノと思って読んで欲しい。
この差は、そもそも異文化を受け入れる土壌の違いではないかと思う。九州北部は古くより大陸からの文化が伝わる場所であり、平戸・長崎は戦国時代には南蛮船の貿易で栄え、江戸時代には鎖国下にあって唯一海外へ向けられた玄関口であった。
たとえば横須賀のご近所、文明開化の象徴として語られる横浜が開港以前はただの漁村であったのに対し、長崎は古くから外来の物を受け入れ・取り入れ、自分のモノとすることについて経験が豊富であり、得意としてきた歴史がある。
横浜は掘れば確かに"発祥"を見つけ出すことはいくらでも出来るだろうが、しかしそのうちのどれほどを自身のモノとして作り/売ることが出来ているだろうか? 長崎のカステラに匹敵する菓子が横浜にあるか? 横浜はパン発祥の地と言われるが、では横浜のパンは元祖としてどれくらい美味しいか? ――と考えてゆくと、横浜は異文化のただの経由地で、まさしくポータルな役割しか果たしておらず、伝わって来たモノに対して独自に手を加える力というものは存外持ち合わせていなかったのではないか――という風にも思えるのである。
横須賀から逸れて横浜の話になってしまったが、つまりは横須賀に横須賀バーガーが成立せず、佐世保には佐世保バーガーが成立し得たのにはそれなりの理由がある――というようなことを、いま考えているところである。
§ §
……んなワケで二度目の佐世保――小難しい話とは別に存分に味わってきたので以降→ (つづく)
2005.10.18 Y.M
何を、あるいはどこのことについておっしゃってるんだか、さっぱり意味が解らないながらも、ともあれコメントありがとうございます。
おかげで昔の自分の文章を振り返ることが出来ました……すっごいこと書いてますね。
もう今ではきっとこんなこと書けないであろう、非常にキレた内容です。どこからこんな文章が湧いて来たのか……自分でもびっくりいたしました。何か自分でないような、何かタイムカプセルを掘り起こして開けたような、そんな感覚です。良い刺激になりました。冗談抜きに。
明日、いや今日からは、あらためて初心に帰って、再びキレのある文章が書けるよう努力して行きたいと思います。
そんな次第でありがとうございました。
またよろしくお願いいたします。