2006年09月30日

# 151 TREASURES [札幌・西11丁目]



 結論から先に言うと、札幌には個人経営のハンバーガーショップはまだ数えるほどしかないのである。


●札幌バーガー事情'06

 ブームに乗ってメニューに載せているダイニング/居酒屋系を掻き集めてどうにか……というところなのだが、ところがところが!「すすき野TOWN情報」なる情報誌(2006.8.20号)の表紙をハンバーガーが飾っているのを目にしたときには相当に驚いた!しかもそこら中のコンビニの入り口・レジ脇など目に付く場所に並んでいるのである。

 ススキノエリアで食べられるハンバーガーを集めて全10店・6ページに亘る特集に組んでいるんだけど、これがまた相当に広いエリアからのピックアップで、さすがにハンバーガーリサまでは及ばなかったものの、南2条西9丁目に在る(つまりすすき野とは全然関係無い)このトレジャーズもそのエリアの中に加えられていた。

 とにかく気になる話題であることには違いないのだろう――ハンバーガーは。少なくとも編集者に「ウチもバーガーで特集出したい……」と思わせるほどには魅力的だったワケである。とは言え特集に仕立てるには層の薄さという点で無理があった。頭数は揃っても、どこかバブリーな感じも否めない。そんな玉石混交な中、札幌における個人店の先駆け的存在であるこのトレジャーズは、さすがに独り本物の輝きを放っていた。


●南2西9

 南2西9というと賑やかな一帯からは離れて、よく言えばオフィス街の裏手、悪く言えば一通の抜け道。大通公園は辛うじて並行して在るが、でもだいぶ端の方である。すぐ側にプリンスホテル。真下が有名なスープカレー屋。丸っきり人通りの無い場所ではないのだけど、しかし目的無く行く場所でもない。本当はもっと賑やかなところに出したかったのだが、条件にあった物件を探すうち、外へ外へと追いやられていったそうで。

 ライトグレーなビル1F。元クリーニング店だった物件で総床面積7坪。入ると手前がホール、ガコンと一段上がって中二階のようになった奥がキッチン。ホールは席数8ばかり、背の高い(あるいは脚の長い)スツールが窓や壁に向いてぐるりと廻らしてある。見るからに手狭い感じだが、でもニューヨーク辺りの横丁の角にでも在りそうな構えで(って行ったことないんだけどサ、N.Y)、場所なりに悪くない。あとオモテにスチールの机椅子を一組出してあるが、これが出来るのはもちろん夏場のみ。冬ともなりゃ〜、あーた……(って行ったことないんだけどサ、冬の北海道)。

 天井には例によってファンがユラユラ。壁に星条旗、なぜか『博士の異常な愛情』のポスター。全体にトレードカラーであるグリーンの配色。テレビモニターにはモトクロスレースの映像か何か、BGMはオシャレなブラジリアンか何か。



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2006年09月24日

# 150 ラッキーピエロ [函館]



 2年越し――'04年5月、駅前店での「25分待ち」が旅程に響き、泣く泣く諦めたラッピことラッキーピエロに今度こそあり付かん! と、2年を経たこの8月、再び"訪函"。

●ラッピとGLAY

 函館の人でラッピとGLAYのことを悪く言う人はまず居ないだろうというくらい、地元に深く愛された店である。溶け込んだ――いや滲み込んだと言う方が合っている気もする。

 GLAYが紹介したことがきっかけで一気に(全国的に)ブレイクしたという話を聞いたことがあるが、どうやらそういう言い方も大袈裟ではなさそうで、それどころか資料をいろいろと見るにつけ、むしろラッピとGLAYは切っても切れない間柄のようにさえ思えてくるのである。中でもJIRO氏は生涯無料のパスポートを持っているとか……(て言うか、もはや顔パスでしょ)。函館市内ばかりに11店舗。地方・一都市限定でこれだけの規模のハンバーガーチェーンというのは今日、日本国内に他に例が無い。

●プレスリーが青春だった

 もちろん全11店('08年現在13店)周ったわけではないのだが(「全店制覇ラリー」なるものもある)、どの店もそれぞれ異なるテーマ、デザイン、メニューを掲げ、店作りをしている。


 例えば十字街銀座店は「ハンバーガー&カレーレストラン」――コレはごく典型的なパターン。五稜郭公園前店は「ハンバーガー・カレー&スパゲッティ」人見店「ハンバーガー・カレー&ラーメン 餃子」上磯店に至っては「ハンバーガー・カレーとんかつオムライススパゲッティ」とまぁ一見すると、最近の「FK」の様な「何屋だかよく分からん状態」に陥っているようにも思えるのだけど、しかしハンバーガーという軸がブレていないので、どこもしっかりと「顔」の見える作りを保っている。

 サブタイトル――美原店「僕らは皆んな映画青年だった」港北大前店「プレスリーが青春だった」松陰店「アンリ・ルソーの熱帯楽園」で、今回訪ねたベイエリア本店は「森の中のメリーゴーランド」……あぁ、書いてるうちに覚えソ。さらに小見出しが……函館駅前店「連続うまさの感動」本町店「すべてはお客様のうまいのために」港北大前店「うまいものしか売りたくないのです」。極め付けの一店は大谷高校内店。文字通り私立高校(実はJIRO氏の出身校)の「校内の食堂として稼動中」の店で、生徒・教職員限定というプレミア店。中央大学の「トムボーイ」もびっくり!

 とまぁこんな調子でイイ意味でやりたい放題、好きに暴れ回っている感じなのだけど、しかしそれにまた函館の人たちが着いて来ているからこそ、その「やりたい放題」も成立するワケで、それだけ人を惹きつける強い「魅力」と巻き込む「勢い」と、そして何より人を唸らせる「美味しさ」とを併せ持っている――ということになるのだと思う。

●奉仕活動

 ラッキーピエロは、店舗周辺はじめ海岸・公園などの清掃活動、ユニセフへの募金活動、小中高生の総合学習応援、被災地避難所での救済活動(カレーライスの炊き出し)などの社会奉仕・社会貢献を積極的におこなっている。


 もちろん日本を代表する大企業だってこれに相当する、ないしはこれら以上の大規模な社会貢献をやっている筈ではあるが、ただ規模が大きくなればなるほど、我々消費者との間に距離ができ、何かそれが遠いところでやっていることかのように思えて、今ひとつ実感が湧かない(つまりノレない)――というマイナスがどうしても生まれてしまう。

 その点ラッピは営業展開を函館市内に限っているため、ダイレクトにその様子が窺えて、活動の結果が身近に返ってくることが実感できる。そうした手応えはまた「次」の活動へと繋がってゆくだろうし、何よりこうした社会活動への興味と関心を芽生えさせることにもなる。地域に根差したこうした活動は、個々人の力だけでは難しい面も多く、また大企業では今ひとつ顔が見えにくい。ちょうどラッピぐらいの規模がそれをやるのに適した大きさと言えるのかも知れない。

 王代表がラッピのエリア拡大、市外・道外への出店を望まぬ理由は、そんなところにもあるように思われる。目指すは拡大でなく充実思い描く充実を実現できるサイズというものがまず意識の上に置かれていて、そこから手の届く大きさ・顔の見える大きさを決め出しているのだろう。

 まるで提灯記事のようになってしまっているが、大袈裟に書いているつもりもない。ラッピには(良い意味で)人を巻き込む勢いというものがあって、お客さんを、函館市民を、函館を、良い方向・良い方向へと引っ張ってゆく引力を放っているような感じは……確かにちょっとだけしましたネ。

 まぁ、高々バーガー2個食べたくらいで解かることではないのだけれど、しかし私も高々2日の訪問ですっかりその勢いに呑まれてしまった1人なので……(良い意味で)。

 前置きはいい加減このくらいにして、そろそろ2年越しの念願を遂げた話を……



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2006年09月05日

# 149 American Spirits M.K.Y [函館]



 話は前回から続く。札幌のハンバーガーリサで一緒になったお客さんの1人・A氏が「自分も函館でハンバーガーショップをやっていた」と言い出したのである……またしてもえーっ!


●A氏のこと

 A氏の店はクーチークーチーと言い、五稜郭の近くにあったが、故あって閉店せざる得なくなり、その後は臥薪嘗胆、再興を期して札幌で働いていた。それが今秋10月、すすき野にオープンするアンチというメキシカン/テックスメックスの店のシェフに迎えられることとなり、晴れてバーガーも復活させられる運びとなったそうなのである――めでたし!目出度し!(このA氏については、また別に一編を設けねばなるまい)で、その元クーチークーチーのA氏が函館時代、店のことなどをよく相談していたのが、このアメリカンスピリッツの大平マスターだった。



●大三坂近く

 函館で一番有名な坂、八幡坂(はちまんさか)と日本の道百選にも選ばれた名坂、大三坂(だいさんざか)の間にある。大三坂を上れば、上はハリストス正教会やカトリック教会などの建つ元町の街並み、下れば金森倉庫や西波止場などのウォーターフロント。人気観光スポットを結ぶ中間にあって、しかし周囲はさほど騒がしくない、意外や好立地ではないかと思う。



 室外機こそホットピンクに塗ってあるものの、両開きの赤い扉を一歩潜れば、すっきりと要所を押さえたスタイリッシュなアメリカン。不必要にコテコテさせていない辺りに清涼感を覚える。お決まりのジュークボックスにアンティークなキャッシャー、天板のエラク分厚いダイニングテーブル。天井に揺れるファン。そしてカウンターの壁にはエルヴィスやらバディ・ホリーやらのジャケがずらり。席数にして20ほど、マスターは「狭い」と言うがなかなか手ごろなサイズで、どこか居心地好いガランとした空気が漂っている。好きな空間だ。



エルヴィスやらバディ・ホリーやらのジャケがずらり


 17時からの夜のお店。日曜のみ昼12時から営業。昼は函館山の背後から照り付ける陽射しが向かいの店にモロに反射して照明要らず、店内非常に明るい。この陽射し、札幌を歩いている頃から何かヒリヒリするな……と思ってはいたのだけど、よく考えてみれば北海道は緯度が高いので、それだけ太陽の南中高度が低くなるわけである。なので東京と比べ、常にヨコから差し込んで来る感じになり、しかも遮る建物も少ないので容赦がない。湿度低く、空気は涼しいが、それでも今年は「夏らしい夏だ」と地元の人も言っていた(正確にはリサのマスターの言)。


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2006年09月01日

# 148 ハンバーガー リサ [札幌・二十四軒]



 北の大地の美味しいハンバーガーを食べようと札幌のバーガーショップを訪ねたら、思いもかけぬ"歴史"が待ち受けていた。


●Est.1956


 東西線で丸山公園よりさらに先、隣は琴似。二十四軒(にじゅうよんけん)という市街からはやや離れた少し寂しい場所で、住宅・マンションの他に物流倉庫や食品加工場なども隣接する、完全なる郊外型の立地である。明らかに商売に不向きなこの土地に、その思いもかけぬバーガーショップは在るのである。アチラ(米国)の田舎町に在りそうなちょっとした酒場の様な外観。看板には赤地に白く店の名が書かれている。問題はその下――Est.1956……エッ!




●博多、西中洲


 R&B/ソウル・ギタリスト、山田創(やまだつくる)氏の店。正しくは山田氏の母親の店だった。遡ることちょうど半世紀前――1956年、ハンバーガーリサは博多は西中洲にオープンした……えーっ!'56年という時代はハンバーガー屋としては第2世代とマスターはいう。


 第1世代とは屋号も看板も無しに鉄板1枚引っ提げて進駐軍相手にバーガー焼いてた人たちのこと。日本人相手の商売が第2世代に当る。ハンバーガーリサは、彼ら第1世代にアドバイスを受けた山田氏の母が、鉄工所で切り出してもらった鉄板をコンロに乗せて、日本人相手に始めた店だったのである。それが'56年、福岡は博多でのこと。北のハンバーガー屋を訪ねて北海道に来たつもりが、博多のハンバーガー屋と戦後の市井の様子について知ることになろうとは……世の中まったく何処で何に出遭うか分からない。




●三姉妹の店


 となると「リサ」はその母上の御名前かと思いきや、左に非ず、スペイン語で「笑う」といった意味だそうで――またも意外。そもそもその時代に鉄板一枚持ち出して、お好み焼でなくハンバーガーを焼こうと思う時点で、既にどこかハイカラさんである。アジア随一の国際都市・上海から引き揚げて来たというのもあるのか。ハンバーガー\80、チーズバーガー\130。コーヒー\60、トースト\50、コーンフレイクス\70(いつ頃のメニューか定かでないが)。「ハンバーガーでは何だか判らない」と、看板には敢えて「ハンバーとコーヒー」と書いた。


 戦後11年、街はそんな状況だった。天神と中州の間という立地の良さと、姉妹3人で営む店という噂も手伝って、店はまずまず繁盛。しかしなにぶん女ばかりの店なので、誰か嫁に行く度にメンバー交代・世代交代を繰り返し、最後はマスターのいとこに御鉢が回って細々続けていたが、13年前、ついに閉めた。




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posted by ハンバーガーストリート at 17:36| Comment(3) | TrackBack(0) | 東国編 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする